マッタリ=1ダース【1p集】

第24話、萌ゆる時哉、人世

 ケリケリケリケリ……、ウガガガッ。

「何事だ?」

 ──これは、小生が学生だった頃の話である。

 旅先で立ち寄った民宿で、どうにもこうにも眠れぬ一コマがあった。それは深夜にも係わらず、この得体の知れぬ、余りにも騒がしい音響のせいに他ならない。

 布団から這い出し、襖一枚で仕切られた隣部屋から、漏れる光を覗く。若い女性の背中が、ぼんやりとしたまなこに映る。座り込んで何かをしているようだが、良く分からない。

 それにしても、透き通るような首筋の白さだ。小生の潜在的な本能を掻き立て、擽るには、充分過ぎる程の色香だった。

 小生は浴衣の裾を丁寧に直し、咳払いをわざとらしく入れ、隙間を広げる。

「すみません。あの、何してるんですか?」

 小生の問掛けに、驚きもせず女性が振り向く。黒髪がだらりと下がり、二重まぶたで小生をじっと見つめる。

 美しい。ふくよかで、こんなにもたおやかな女性がこの世にいようとは。体を貫くような運命……、何物にも代え難い巡り合いなのだろう。

「料理です」

 弾んだ声だった。首を傾げ「ニイ」と笑う。彼女の歯は綺麗に揃っていた。

 そんな彼女の真意が掴めず、もう一度尋ねようとした時、計らずとも答えが返ってきた。

「ほら、これなんです」

 彼女が身を避けると、小さな機械の穴にアスパラガスが突き刺さっている。周りには様々な野菜が置かれていた。

「それ、鉛筆削りじゃないんですか? 電動の……」

「あら、そうですよ」

 どこまでも無垢で、朗らかな笑顔だった。黒髪とのアンバランスが堪らない。

「棒状に予め切っておく必要があるんです。うちの秘密兵器なんですよ」

 彼女は再び「ニイ」と笑う。

「あっ、お客さん。コレ、内緒ですからね」

 突飛な話だが、思い起こせば彼女の発想の無鉄砲振りは、今に始まった訳では無い。

 小生との出会いは、とても不思議で、何とも不可解だった。若かったから……等の言葉で片付けるには、明らかに安っぽい。

「不条理……」

 彼女が他界し、ようやく見付けた言葉だ。

 正直なところ、その夜小生が彼女を口説き、結ばれたのは言うまでもなかろう。だからその時、妻にする事も出来たのだ。

 小生は、馬鹿である。
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