マッタリ=1ダース【1p集】

第29話、スズメの涙

 妻はまだ、投票所から出てこない。先に済ませた私は小さな娘を連れ、小学校の運動場に出た。

「ねえ、お父さん。あそぼ」

 くりくりまなこが話し掛ける。柔らかく手を繋いでいた私は、しずかに足を止める。

「何して遊ぼうか?」

「えーとね、えーと……」

 あたりを見回しても、なかなか答えが出ない。娘は目を点にし、考えている。

「お父さんは何したい?」

 油断していた訳ではないが、突然バトンが回ってきた。

「そうだな」

 緑色で、移動式のバスケットに目が止まる。

「あそこまで、競走しよっか? 駆けっこ」

「うん、いいよ。どっちが速いか勝負ね」

 娘はすぐに走ろうと身構える。ほっぺの上の真剣な眼差しが、堪らない。

「じゃあ行くよ。よーい、どん!」

 娘が勢いよく飛び出し、私がその後に続く。

 抜きそうで抜かない。歩幅を小さく、足音を立て、チラチラと姿を見せては後退する。我ながら見事な演出だ。

「やったー! いっちばーん!」

 僅かの差だった。塗装の剥げた支柱に、娘がタッチした。

「速かったねー」

 娘は肩で息をしている。

「今度はアッチの鉄棒まで走ろっか?」

 実は私もかなり息が上がっていたが、強がったのだ。

「ちょっと、お休みしよーよ」

 娘はその場にしゃがみ、すぐに地面をいじり出した。

「手が汚れるから、やめなさい」

 妻がよく言っていたセリフが、つい口から滑り落ちた。

「こうやっていると、何か見付かるかもしれないよ」

 小さな背中がそんなことを言う。

「そうなんだ」

「スズメの涙とか、拾うの」

「スズメの涙?」

「うん。ホラ、こんなやつ……」

 キラキラと光る小さな砂粒が、手の平の真ん中で転がった。

「何やってるの? そんなことしたら、手が汚れるじゃない」

 日傘をさした妻が私たちを見付けて、やって来る。

「いいさ。スズメの涙を拾っているみたいだから」

「何それ?」

「多分、もう僕たちには気付かないものだよ」

 差し出した手の中で、先ほど貰った砂粒がキラリと光る。

「ふうん」

 妻はそう言うと、娘に視線を移し、クルクルと日傘を回した。
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