狂妄のアイリス
 立ち上がると足が椅子を押して、大きな音を立てて倒れる。

 振動に、足の裏が震える。

 お母さんは、この人は、いつからこのことを知っていたんだろう。

 母を見下ろしながらそう思う。

 決して見つかりたくなかったし、見つかっていないと思っていた。

 だって、今この瞬間までこの傷について何も触れられず、何も言われなかった。

 いつからこの傷を知り、いつから知らない振りをして、放っておかれたんだろう。

 私が立ちあがった気配にも、椅子が倒れた音にも、顔を覆う母は微動だにしない。


「っ……!」


 私はリビングを走り去る。

 テーブルを離れる時に手でも当たったのか、食器が割れる音がした。

 私は振り返りもせずに家を飛び出し、寒空の下を駆けて行った。
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