幻想
 恭一は笑みを維持しながら言った。
「さっきも同じことを言ってたけど、何を終わらせる?」
「全てだよ」
「私との関係も?」
「いや、そうじゃないんだよ鈴音」と笑みを讃えながら彼は言い、「人はさ、体験から学ぶんだ。少なからず僕と出会った人達は僕を介して体験した筈だ。そこから真実を汲み取って前進して欲しい、君もその内の一人だ」と遠い世界を見つめるように視線をここではないどこかへ向けた。
 鈴音には意味がわからなかった。なにもかもが抽象的であり、目の前の恭一も抽象的な存在に見えた。彼女にとって男とい存在自体が抽象的でもある。すぐに身体の結合を求め、甘い言葉を囁き、最初に全力を注ぐ。そういう男があまりにも多く、そういう男は得てしてつまらない。
「意味はわからない。だけど、何かいなくなってしまうような感じがするのは気のせい?」
 鈴音は恭一を見た。列車のアナウンスが流れ、『館林、館林。夢の館林』と余計な一文を添えた。浅草からそうだなのだが、この列車のアナウンスたる人物は、この一瞬に命をかけているように思えてならない。そこに楽しみを見いだし、面白みを見いだし、生きがいを見いだしている。そんな風に思えてならない、と鈴音は思う。が、恭一からの返答は未だに返ってこない。彼は遠い目を崩さぬまま、岩のようにびくともしない。そこだけ時間が止まったように、彼の空間には時間的概念を超越しているものがある。
 鈴音は文庫本を開いた。読みかけの本だ。しおりを挟み、抜き取り、読み始める。最初の一文はこうだ。
『夢で会おう』
 難病を患い病床にふける彼氏が死に際に、彼女に言うセリフ。よくある話しであり、それでも人は感動する。夢、という単語は、睡眠時に用いられたり、人生の目標やそれに向かう衝動に用いられる。
 では、この文庫本の一文はどちらに属するのだろう。
 そんなことを考えた彼女は恭一の喉仏がごくりと唾を飲み込む動作に入ったのを感じた。そして、
「夢で会おう」
 恭一はまたしても意味のわからないことを放ち、文庫本と同じセリフを放った。でも、記憶の底流から湧き出る源泉は、鈴音に気づきを与えた。ああ、このセリフに遭遇するのは三度目、か。

「いずれまた、夢で会おう」
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