ラストバージン
まだまだ話していたいけれど、いつもの楓ならとっくに閉店している時刻。
名残惜しさを感じながらも、榛名さんと顔を見合わせた後でどちらともなく立ち上がった。


「結木さんの分も一緒にお願いします」

「かしこまりました」

「えっ?」


先にレジに行った榛名さんを制する私を余所に、彼とマスターはさっさと会計を済ませてしまって……。

「あの、お支払いしますから」

慌ててきっちりの金額を差し出したけれど、それを受け取って貰える事はなかった。


「……本当にいいんですか?」

「今日は特別ですよ。それに、僕はマスターにサービスして貰って得していますから」

「こちらこそ、とても助かりました。ありがとうございます」

「海老で鯛を釣っちゃったみたいですね」


おどけた榛名さんにマスターがクスリと笑い、それから私を見た。


「という訳で、結木さん。榛名さんに甘えられてはいかがですか」

「じゃあ……」


戸惑いながらも「ありがとうございます」と頭を下げると、榛名さんは満足そうに破顔した。
そんなやり取りをした私達がコーヒーの香りが充満している店内を後にしたのは、結局は閉店時間から三十分以上が過ぎてからの事だった。

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