ラストバージン
咄嗟に腕時計に視線を落とすと、マスターが出て行ってからまだ十分程しか経っていなかった。
彼だとしたらさすがに早過ぎるから、きっとお孫さんである楓ちゃんが来たのだろう。


慌てて涙を拭い、笑顔を繕って振り返った。


「こんば……」


そんな私の瞳が捕らえたのは、どう見ても女の子じゃないシルエット。


明らかに肩で息をしている人は、膝に手を置いて前屈みになっているから顔は見えなかったけれど……。

「……やっと会えた」

その声を聞くよりも、そして顔を見るよりも先に、目の前にいるのが誰なのかわかってしまった。


「榛名さん……」


どうして榛名さんがここに来たのか……。
それ以外にもわからない事が状況を理解出来ない頭を混乱させ、それ以降の言葉は何も出て来ない。


「結木さんがこんなに卑怯者だとは思わなかったよ……」

「え……?」


何の事を言われているのかわからないし、未だにこの状況を整理出来ない。
言葉を失い続ける私を余所に、息を大きく吐いた榛名さんがゆっくりと近付いて来る。


「黙ってメアドを変えたり、着信拒否をするなんて、卑怯過ぎるよ」


そして、彼は全く動けずにいた私の目の前まで来ると、窘めるように眉をグッと寄せた。

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