【完】そろり、そろり、恋、そろり
急いで麻里さんの部屋へと向かうと、先程とまったく同じ姿勢のまま固まっていた。俺の行動に呆気にとられているという言葉が相応しい。


「はい、これどうぞ」


そう言って、たった今持って来たのもの1つを彼女に手渡した。


「……氷?」


「そう、氷です。ただの氷でいいんですけど、こっちの方が足を冷やしてあげるのに調度いいですよ」


俺が持って来たのはただの氷。ただ、紙コップに水を溜めて作った氷。使い方は……実際に使いながらの方が分かりやすいはず。


「えっと……とりあえずやってみますか。1つは仕舞ってきますね、後から麻里さんが使えるように。それと、タオルありますか?」


「え?え?……タオル?そこにあるのでいい?」


未だに現状が飲み込めていないみたいだけれど、タオルの場所をとりあえず答えてくれた。後はただ俺の行動を見守っているという感じ。


タオルと氷を手に持ち、ソファに座る彼女の足元の床へと俺は腰を降ろした。そして、痛々しい彼女の足を俺の膝の上に乗せた。


「……っ!!拓斗君!?」


「ちょっとじっとしていて下さい。少し足を冷やしますから」


足と俺の膝の間にタオルを敷き、そして紙コップをビリビリと少し破った。俺が掴むこと所はちゃんと紙コップで覆われているから手も冷たすぎなくて調度良い。


氷の部分を、腫れあがっている部分にそっと宛がると、冷たかったんだろう、彼女はビクリと身体を震わせて反応した。


同じところに長時間氷が当たらないように、くるくると円を描くように、熱をもっている部分をマッサージしていく。


「こんな風にアイスマッサージするといいですよ……麻里さん?」


「もう大丈夫、後は自分で出来る」


心なしか彼女の顔が赤く染まっている気がする。


あーあ、やってしまった。この距離感が人から軽いと勘違いされる原因のひとつでもあるのに、怪我をしている麻里さんについやってしまった。仕事のときはこの距離感が当たり前だから、気にならなかったけれど、今は仕事中ではない。


プライベートでなければ困るのは、どちらかというと俺なのに。


「すみません……つい、仕事中の調子で。嫌だったですよね?」


「嫌というか、ありがたいけど、ちょっと恥ずかしいかな」


“恥ずかしい”という彼女の言葉につられ、俺も麻里さんとこんなにも近くにいることと、彼女に触れていることが恥ずかしいと感じた。


そっと足を床に降ろして、俺は立ち上がり、慌てて彼女から距離をとった。


「……」

「……」


恥ずかしさと、気まずさで、何を話していいのか分からず、2人の間には沈黙が流れた。これ以上、ここにいるのは耐えられないかもしれない。


「……俺、帰りますね。明日は昼ごろには来ますので……じゃあ、おやすみなさい」


「ごめんね、明日もよろしく。おやすみなさい」


この空気に耐え切れず、逃げるように彼女の部屋を後にした。
< 44 / 119 >

この作品をシェア

pagetop