氷の卵
次の日からは香織さんのお見舞いに行くのが、私の昼の日課となった。


本当は香織さんの顔を見るたびに、苦しくて仕方がなかった。
日々さらに、さらに香織さんは透き通っていく。
姿だけだはなく、その存在までもが、次第に透き通っていくのだ。

それが分かるから、私は苦しかった。


それに、香織さん自身が自分の病状について、完全に理解していることも、私の心を痛めた。

それなのに、いつもと同じように明るく無邪気に振舞う彼女。
私はいつも、そんなに頑張らなくていいと、彼女をそっと抱きしめてあげたい衝動に駆られる。

でも、実際にはそんなことできなかった。


信じていたかったのかもしれない。


香織さんは消えてなくなったりしないと。
せっかく出会えて、せっかく私を好きだと言ってくれた彼女が。
再び私の前から、大事な人が消えるなんて、考えるのも嫌だった。


「香織さん!今日は桜の花が咲きましたよ。生けておきますね!」

「いつもありがとう、雛ちゃん!桜、きれいね。」

「綺麗ですよ。ほら、窓を開けてみてください。」


窓を開け放すと、香織さんは眩しそうな顔で微笑んだ。


「もうこんなに、春が来ているのね。」

「そうです。だから香織さんも……、」


その後に何ていったらいいか分からなくなった。


「香織さんも、一緒に外に行きましょう!調子がいい時でいいですからね。無理しなくてもいいですからね。」

「雛ちゃんはほんとに優しいよね。」


そう言って振り返った香織さんの頬にかかる黒髪が、美しかった。


「雛ちゃん、ごめんね。」

「何が?」

「ううん、何でもないの。」


その時見せた香織さんの顔は、一瞬、本当に一瞬だけ、泣きそうに見えた。
初めて見せた香織さんの弱気な表情に、私はどうしたらいいか分からなかった。


「香織さん!」


ベッドに腰掛けて、香織さんにぴったりと身を寄せる。


「私ね、香織さんみたいな人になりたいんだ。」

「何ー、もう。くすぐったいじゃない。」


香織さんは優しく笑う。
私の胸はその度に、苦しくなる。


「私はね、いつも自分のことしか考えてない。駄目な女の子なんだ。香織さんみたいな優しい女性になれたら……そしたら。」

「雛ちゃんは駄目な女の子なんかじゃないよ。だって、ほら、今。雛ちゃんは誰のこと考えてる?」

「今?香織さんのことかな。」

「ほらね!」

「だって、一人になったときとか。」

「誰のこと考える?」

「自分のこと。」

「好きな人のことじゃなくて?」


香織さんがいたずらっぽく笑う。
私は思わず泣きそうになる。


「そうだね。そうかもしれない。……私、いつもいつも、あの人のことばっかり考えてる……。」

「でしょ。恋ってそういうものよ。だから雛は、優しい女の子なの。」


初めて香織さんが雛と呼び捨てにしてくれて。
まるで心の距離が近づいたみたいで、私はとても嬉しかった。


香織さんが、香織さんのすべてが愛おしかった。

それは、私にとっての祈りだった。


香織さんを失うことだけは、絶対にしたくなかったから―――
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