氷の卵
その日の夜、また啓と、病院のロビーの椅子に隣り合って座っていた。

啓はもはや、心を失ったような顔で、涙も流さずにいた。

啓は香織さんのことを愛していた。
やっと、やっと想いが通じたとたん、彼女は旅立っていった。
もう二度と会えない。

その悲しみは計り知れない。


生きていれば、戻ってくると期待して待つことができるけれど。
死んでしまった人はそうはいかない。


だから啓の痛みは、私が愛する人を失った、あの日よりもさらに深いはずだった。


「啓。」


そっと呼びかける。
啓は何も言わない。


「啓、あのさ……。」


私が言おうとしていたことは、とても残酷なことだった。
でも、言わないと気が済まないのは私だった。


「香織さんのお葬式、私がお花準備してもいいかな。せめて、せめてそのくらい、させてほし、」

「……っ!」


啓が突然、激しい勢いで立ち上がった。

私は驚いて、啓を見上げた。

啓は、まるで別人のような顔をしていた。

私はそんな啓に、恐怖さえ覚えた。


「やめてくれよ。」


静かに発したその一言が、あまりにも冷徹だった。


「僕は……僕は君に……、香織の最期のための花を準備させるために、出会ったんじゃない!!」


理性が吹っ飛んだ啓の言葉が、胸に深く刺さった。

私がフラワーショップ若月を切り盛りしながら、ずっと思っていたこと。


花を買う、という行為の二面性。


でも、嬉しい時も悲しい時も、人生の一場面に寄り添う花を売りたいと、そう願っていた。

でも、やっぱりそんなこと、きれいごとに過ぎないね……。


「ごめん。」


謝ると、啓は私に背を向けて去っていった。


もう、優しかった啓はどこにもいない。いないんだ……。
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