小咄
「猫舌かよ」

 言いつつ、真砂がずいっとお玉を深成に近づける。
 やはり冷めるまで待ってやるような優しさはないようだ。
 慌てて深成は、必死で息を吹きかけ、やがてお玉に軽く口をつけた。

「……ん、美味しい~」

 ずずず、とシチューを飲み、にこりと言う。

 ……まだ、ここまでは良かったのだ。
 やきもきしつつも、六郎は大人しく、ソファから座って二人を見ていられた。
 が。

「何でこんだけでこぼすんだ」

 真砂が親指で、ぐい、と深成の口の横に少し垂れたシチューを拭ったのだ。
 そしてその指に付いたシチューを、ぺろりと舐めた。

「……!!!」

 思わず六郎は立ち上がっていた。

「ねっ美味しいでしょ?」

 深成は全く気にすることなく、真砂に話しかけている。

「味がわかるほどの量じゃない」

「そりゃ、さすがにそんなには、こぼさないよっ」

 きゃんきゃんと言っていた深成が、ふと視線を居間のほうへやった。
 ようやく、茫然と二人を見つめる六郎に気付いたようだ。

「あれれ、どうしたの。トイレ?」

 立ち上がっている六郎に、ててて、と深成が寄ってくる。
 そして、六郎の額に、ぺと、と手を当てた。

「やっぱり熱あるね。市販の薬ならあるし、安心してよ。ご飯ももうちょっとで出来るから」

「あ、ああ……」

 深成に促され、再び六郎はソファに沈む。

---く、くそっ。こんなふらふらでなかったら、私が自らキッチンに立つのに。それこそ先の空想のように、新婚ぽく振る舞えるのに。何故奴が、その位置を奪うのだ---

 悶々とする六郎から離れた深成は、居間とキッチンの間の戸棚の中を探っている。

「真砂。風邪薬あったよね? どこだったかなぁ」

「薬は薬箱だろ」

「ん~……。あ、あんなとこに行ってる。そういえばこの前、あんちゃんがお腹壊してた。あんちゃんが使ったんだな」

 たたた、と部屋を横切り、窓辺のサイドボードの上にある薬箱を掴む。
 そしてふと、窓の外を見た。

「わぁ、凄い雨。六郎兄ちゃん、無理して帰らないで良かったよ。これじゃ今日中に特急動くなんて、無理だったよ、きっと」

 言われて六郎も窓を見れば、雨は帰ってきたときと変わらない。
 酷いままだ。
 一時的な豪雨ではなかったらしい。

「そうだね。助かったよ、深成ちゃん」

「真砂のお蔭だよ~。真砂が迎えに来てくれなかったら、わらわも帰れなかったもん」

 にこにこと言いながら、はい、と風邪薬を差し出す。

「さ、ご飯にしよう。ご飯食べてお風呂入って、今日はとっとと寝ちゃうに限るね」

 いそいそと深成がテーブルにランチョンマットを並べる。
 楽しそうにしているのは深成だけだ。
 この後また、前にも繰り広げられたバトルが待っているのだが。
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