小咄
「ああ……。出来る人だとは思ってたけど、凄いスパルタだな……。まだやっと何となく営業というものが、朧げにわかってきたばかりなのに」

 駅に向かいながら、六郎がため息をつきつつぼやく。
 その横を、てこてこと歩いていた深成が、ちろりと六郎を見上げた。

「六郎さんはあんまり時間がないから、特に厳しくしてるんだよ。だって社長直々のお願いだし、いい加減には出来ないでしょ」

「そうなのかな。そういえば、深成ちゃんは真砂課長の秘書もしてるの?」

「ううん。課長に秘書なんていないよ。でも課長は忙しいから、出来ることは手伝ってあげたいし」

 予定表を出すような雑務を頼んだり、自分の予定は深成に聞けと言っていた。
 変わったら、深成がスケジュール調整をしているのかと思っていたが、そういうことではないのだろうか。
 秘書なのであれば、深成が真砂と親しいのも、わからないでもないのだが。

「課長が忙しいから、そのサポートとして、わらわを入れたんだろうしね」

「そうなんだ。なるほどね」

 ちょっと納得し、六郎は深成を見た。
 改札を通り、ホームに降りる。

「ところで深成ちゃんの駅ってどこになるの?」

 さりげなく問うたことに、深成が、ぴく、と反応した。
 やはり若干視線を彷徨わせ、小さく言う。

「……小松町駅」

 六郎は己を落ち着かせるために、深く息を吸った。
 そして、努めて冷静に、深成に言う。

「深成ちゃん。今日はごめんね。いきなり、あんな……」

 本題に入る前に、資料室でのことを詫びておく。
 深成は小さく、ああ、と呟いた。
 依然視線は泳いだままだ。

「私は、深成ちゃんが悪い人に引っかかってるんじゃないかと心配なんだ」

 六郎が言うと、やっと深成は顔を向けた。
 不思議そうな顔で、六郎を見る。

「小松町駅は、深成ちゃんの最寄り駅じゃないよね? 昨日のマンションに、今日も行くつもりなんじゃないの?」

「えええっ! な、何で?」

 思いっきり動揺した深成が、狼狽しながら叫ぶ。
 肯定したも同然だ。

「あきさんが言ってたんだ。昨日深成ちゃんを小松町の大きいマンションに送ったって言ったら、深成ちゃんのマンションは、小さいハイツだって。駅も小松町駅じゃないって言ってたし。小松町のマンションは、その……彼氏の家なんだって……」

 うわぉ、と大きく仰け反り、深成が頭を抱えた。

---あ、あきちゃんっ! そっか、あきちゃんは、わらわのお家に来たことあるもんね。え、じゃああきちゃんにも、わらわが課長のところに行ったってバレちゃったの? いや、元々あきちゃん、わらわと課長のこと知ってたっけ?---

 確か真砂のお見舞いに行くや行かんや言ってたときに、そんな話になったような。
 だが社内恋愛は隠しておけ、とは言っていたが、ただ真砂と一番仲良しなのが深成だ、としか言わなかったような。

---そこまでの関係だとは思ってないかな。そうだよね。それに、あきちゃんも課長のお家は知らないって言ってたし。違うところに行ってたってので、単純に彼氏のとこって言っただけだよね---

 ぐるぐると考える深成を、六郎がじっと見る。

---こ、この動揺の仕方……! やはりあきさんの言っていたことは本当だったんだな。でもそんな、こんな小さい子を弄ぶような男のところに帰すわけにはいかん!---

 内心ショックを受けながらも、六郎は決意を新たにする。
 きっと深成を見ると、ぐっと拳を握りしめた。

「深成ちゃん。その人、彼氏じゃないよね? 深成ちゃんだって、今日資料室で、ちょっと言い淀んだじゃないか。彼氏とは言えない人か、深成ちゃん自身が、そう思いたくない人ってことじゃないの?」

「え、え?」

「その人って、深成ちゃんは何らかの理由で仕方なく仕えてる人なんだろう?」

「え、つ、仕えるって。えっとぉ、そんなんじゃなくて。でも……え~と、あの、彼氏っていうのか何なのか……」

 だらだらと汗を流し、深成は目を泳がせながら言葉を紡いだ。

「彼氏でもない人のところに、夜行っちゃ駄目だ! 行かないといけない理由があるなら、私が何とかしてあげるから!」

 ずばんと言う。
 深成を想う六郎の発言としては、何らおかしいところはない。

 そのとき、ごーっと電車が入って来た。

「あ、と、とりあえず乗ろうよ」

 わたわたと深成が電車に乗り込む。
 六郎も、険しい顔のまま深成の後に続いた。
 ドアが閉まり、電車が動き出してから、深成はちらりと六郎を見上げた。

「あのね……。ちょっと誤解してるみたいだから、ちゃんと言おうと思うんだけど」

 考えつつ、深成が口を開く。

「えっとね、彼氏と言っていいのかわかんないの。それは変な関係だからじゃなくて、相手の立場的なものっていうか」

「立場? まさか深成ちゃん、不倫とかしてるんじゃないだろうね?」

 相手が既婚者であるなら、確かに大っぴらに彼氏とは言えない。
 相手の立場上深成が日陰の身に甘んじているというのだろうか。

「深成ちゃん。いくら相手の人を好きでも、それはいけないよ」

「ち、違うよ。ちゃんと独身だよ。でもちょっと、難しい立場っていうか。その、大人な人だしさぁ」

 相手が思い切り社内の上司である、ということを言えない以上、どうしても深成の説明は曖昧になる。

「独身で大人なら、なおさらきちんと深成ちゃんの立場を確立してあげるのが男というものだろう? その辺を曖昧にしたままなんて、遊ばれてる証拠だよ」

 ちょっと強く、六郎が言う。
 その瞬間、深成の顔が歪んだ。

「違うもんっ! 課長はわらわのこと、ちゃんと好いてくれてるもんっ!」

 遊ばれている、と言われたのがショックだったのだろう。
 泣きそうになりながらも、深成は噛みつくように言った。
 そして、ぷしゅ、と開いたドアから飛び出して行く。

「み、深成ちゃんっ……」

 慌てたものの、六郎は衝撃に身体が動かなかった。
 そのままドアは閉まり、電車が動き出す。
 過ぎ去っていくホームに、目を擦りながら歩いている深成が見えた。

---か、課長って言った……。まさか……まさか深成ちゃんの相手というのは、真砂課長なのか……?---

 小さくなるホームを見つめ、六郎は拳を握りしめた。
 うっかり口走ってしまった深成の言葉が衝撃過ぎて、周りの音が聞こえない。

---いやでも……課長といっても、真砂課長とは限らない。清五郎課長かもしれないし。他の部署の課長かもしれないし……---

 何となく淡い期待を抱きつつ、それでもやはり悶々と、六郎は家路についた。
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