過ちの契る向こうに咲く花は
 ひと呼吸、沈黙が訪れて、次に聞こえてきたのは伊堂寺さんのため息だった。
「自分のことは、ある程度自覚しているつもりだが」
 その前置きも、嫌味なく聞こえるんだからうらやましい。
 ナルシストとそうでないひととの境目ってなんなのだろうな、と思う。
「人は見た目が九割、とはよく言ったものだ。実際、俺もそうだと思っている」
 事実か否か、なのかもしれない。
 そんなひとからそう言われると、さすがに厳しいものがある。

「だがその見た目というものは、生まれ持った姿形だけのことだと思うか?」
「え?」
「美人というのは姿形の問題ではない。雰囲気だ。内面や相応の所作があって初めて美人だと認識する。もちろん容姿も重要な要素だが、それだけでは成り立たない」
 いったい、なんの話だろう。
 野崎すみれさんの話をしていたはずなのに、美人論が展開されている。しかもまるで仕事の会議のように。

「見た目とはその人となりだ。性格が顔に出るとはよく言うだろう。服装や持ち物の選び方もまたそのひと自身を表す。マナー、気性、普段の生活、生い立ち。それら全てがあっての見た目になる」
 こちらが話を挟む余地はなくなってしまった。
 しかもよくわからない説得力がある。これが仕事のできるひとなんだなぁと感じてしまうぐらいに。むしろ若干詐欺師にも近い。
「人は見た目が九割だ。ひとの嗅覚は馬鹿にできない。意外と正しく読みとっているものだ」
 そう言い切られると、そうなのかもしれないと思ってしまう。私は詐欺に引っかかりやすいタイプだったのだろうか。

 だけどもしそうだとしても、野崎すみれさんの感じたこと、言ったことは間違えてはいない。私は地味に生きてきたし、今もなお目立つことを恐れている。それが見た目に現れるのならば、やはり地味で冴えない女に間違いないのだ。
 だから確かに、たいして話したこともない私に対しての嗅覚は馬鹿にできない。

「野崎すみれも自覚している人間だろう。だがお前は違う」
 どきり、と心臓が反応した。
「お前は自分のことを認めたくないと拒否し続けている」
 違うか、とは続かなかった。断定だった。

「そんなことはない、と言いたそうな顔だが」
 まだ伊堂寺さんのプレゼンテーションは続く。
「お前には私なんかという気持ちがあるだろう」
 忠言は耳に逆らう、とは言うけれど、今の私はまさにそんな気持ちかもしれない。
「下手にプライドがあるから、否定するんだ」
 伊堂寺さんも随分とはっきり物事を言うひとだ。
 
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