過ちの契る向こうに咲く花は
「お、おはようございます」
 まだ十一時前だからおはようでいいはずだ、と考えると同時に口が動く。しかし身体は動かずドアノブを握って半身出た体勢のまま。
「……お、はよう」
 伊堂寺さんは表情すら固まっていた。
「あの、なぜに」
 ドアの前に立っているのですか、という質問は全てをことばにする前にわかってもらえたようでようやく伊堂寺さんの目が動いた。
「ああ、すまない。めずらしく起きてこないから具合でも悪いのかと」
 そう言いながら目を逸らし逡巡した様子で数秒また固まって。
「誰かと思った……」
 と心の底から出たため息のようにつぶやく。

 思わず噴き出した。あんなに冷静なひとがまさかこんなに驚いてくれるとは。
 変えたと言っても髪型だけだ。あとは眼鏡をしていないだけ。顔はそのまま。一緒に暮らしているからすっぴんだって前から知られている。
 私が笑っていると伊堂寺さんの顔が少々むっとした。

「部屋から見慣れない顔が出てきたら、誰でも驚くだろう」
「ええ、それはそうです。ただ、伊堂寺さんでもそんなにびっくりしてくれるんだなぁって」
「俺を機械かなにかだと思っていないか」
「思ってませんよ。でも、なんというか、動じなさそうだなと」

 いい加減笑い過ぎだと思って少しずつ顔の筋肉を緩めていった。反対に伊堂寺さんの顔はすっかり固まってしまったようだ。
「すみません、失礼しました」
 怖いとか恐れとかはなかったけれど謝罪のことばを口にしておく。
 伊堂寺さんはぐっと眉間に皺を寄せてから背中を見せた。怒らせたかな、と様子をうかがうとちょうどその顔が向かいのガラス棚に映っていた。

「やはり……か」
 かすかに聞こえた声。なんとも言えない曖昧な表情。
 いったいなにが、と疑問に思えど伊堂寺さんはすぐにキッチンへと消えてしまった。朝食を理由に後を追うにも、再びまみえた伊堂寺さんの表情はいつものものに戻っていた。
 いったいどうしたんだろう。そう思えどこちらの勘違いかもしれないのでそれ以上考えるのはやめた。

 月曜日、新しいスーツ、パンプス、鞄を持ってドアを開けた。
 眼鏡がないのがまだ慣れない。こんな顔で外に出ていいのか、とすっぴんでもないのに不安になる。いや、普段すっぴんで外出しているけれど。
 頭が軽くて、気持ちの良い風がさらに気持ちも軽くしてくれた。
 
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