バターリッチ・フィアンセ
「やっぱり、自分一人の力でやるべきだったのかもな……」
久々に鍵を差し込んだ玄関の扉の前で、俺はひとり呟いた。
そこは以前と同じように古く色褪せた、はっきり言って“ボロい”アパートの一階。
けれど俺にとっては懐かしい思い出に溢れた、大切な場所。
一志が店舗と居住スペースを無償で貸してくれているからと、俺は母と暮らしたこのアパートの家賃をずっと払い続けていた。
もしも今回のように挫けることがあったとき、いつでも帰れるようにと。
居間とキッチンが一体となった部屋の他に、和室がひとつ。
その畳の上に荷物をどさりと落とすと、ほとんど家具のないその部屋に、ごろりと横になった。
これから、どうすればいい……?
今まで忙しさの中にずっと身を置いてきたから、考える時間をたっぷり与えられることには慣れていない。
油断するとすぐに蘇ってくるのは、織絵の色んな表情と、この手に触れた彼女の髪や、柔らかな肌の感触……俺の胸を詰まらせる、甘い香り。
ここは織絵と暮らしたあの部屋じゃないのに、どうして……
未練がましい自分がいやで、額に手を当てて、ため息をつく。
今はまだ仕方ないのかもしれないけど、時間が経てば、きっと想いも薄れるだろう。
彼女はもともと俺なんかと接点のあるはずのなかったお嬢様なんだ。
元の綺麗な世界に戻っただけ……彼女のいるべき場所に。
きっと、気の強そうなあの長女みたいに、これから医者とかそういう地位のある奴と結婚するんだろう。
それが織絵の幸せ、
……そうに決まってる。
もしも母さんが生きていたなら、消極的な結論に達した俺の恋を、やかましく怒りそうだ。
そう思ったら少しだけおかしくて、俺は力なく鼻で笑った。