喩えその時が来たとしても
 
 馬場めぐみは泣いた。俺も負けずに泣いていた。ゴミがそこら中に落ちている、ジメジメとした小便臭い建物の狭間で。

 涙が落ち着くと、馬場めぐみはぽつりぽつりと話し始めた。

「散々手を尽くしたけど、どうにもならなかった私は、とうとう仕事も手に付かなくなってしまったの……」

 そうしてただ何となく毎日の作業をこなして行く中では、仕事へのモチベーションも達成感も得られない。とうとう彼女は大沼所長に「辞めたい」と相談を持ち掛けたらしい。

「でも所長の裁量で十日間の休みを戴いたの。ゆっくり考えておいでって……」

 二、三日は只無為に過ぎて行ったが、考えるのは俺の事ばかりとなり、そして遂には閃いたのだそうだ。

「お兄様がまた生き返るのは、あのペットショップなんじゃないかって。そこで待ってれば、また哲也に逢えるんじゃないかって!」

 それからは毎日、開店から閉店まで、店に張り込んでいたのだそうだ。もう今日で五日目になるらしい。

「刑事顔負けでしょ? お陰でお向かいのコンビニの店員に、スッカリ顔を覚えられちゃったんだからぁ……」

 なんて健気なんだ、どれだけ純粋なんだ、どこまで愛らしいんだ! こんな子が俺を好きでいてくれるなんて神の悪戯なのか? いや、これはもはや奇跡だ。何らかの啓示に違いない。

 でもだからこそ、俺には彼女を遠避ける義務がある。彼女に厄災が降りかからないようにする勤めが有る。こんな神の子を殺してしまう訳には行かないんだ。

「でもな、めぐ。解ってくれよ。多分運の無くなった俺は『愛する人を目の前で亡くす』という最も不幸な運命を背負わされる。そして最期には自分に死が訪れるんだぞ? そんな最悪な終幕って有るか?」

「でも……だってぇ……」

 すると俺にも閃きが訪れた。これから兄貴を貰い受けて、運袋を塞ぐ手立てを授けて貰えば、遠からず彼女との障壁はなくなるという事だ。そうしてからまた馬場めぐみと付き合えばいいではないか。

「めぐ、あのペットショップが開店したら俺は兄貴を買ってくる。運袋を塞いで、めぐに危険が及ばないと解ったら必ず迎えに行く。だからそれまで待っててくれないか」

 だが馬場めぐみは首を縦に振ってくれない。恐い顔で俺を睨み付けるばかりだ。

「貴方が居ない心の隙間をどんな思いで埋めたのか、哲也は解ってない!」

 そうやってかぶりを振るばかりだった。


< 145 / 194 >

この作品をシェア

pagetop