聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~奇跡の詩~
「…今だ!!」

誰かのその声を合図に、兵たちは一斉に魔月に向けて槍や剣を突き出した。

魔月は十本もの武器で串刺しにされてもまだしばらく暴れていたが、やがて動かなくなった。

―倒したのだ。

十人がかりで、やっと一匹。

それとて一人の兵が捨て身で懐に飛び込み動きを封じなければ無理だったろう。

兵たち全員が肩で息をしている。皆体のあちこちに血が滲んでいる。

彼らの呼吸がいまだ整わぬうちに、遠くで悲鳴が上がった。人々が恐怖に表情をひきつらせて逃げ散る様から、再び魔月が現れたのだとわかる。

兵たちに言葉はなかった。ただ魔月の躯(むくろ)からそれぞれの得物を引き抜き、悲鳴の聞こえた方へ駆けだした。

彼らの体は疲労困憊していた。こんなことをもう長い間夜もろくに寝ないで続けているからだ。だが戦わねばならない。それがフローテュリアを守る兵の務めだ。

しかし破れた袋にテープを貼るようなこの状況。ひとつ穴をふさいでも、すぐに別の所に穴があく…。

「ここは王都の中なのに! 結界は、どうなっているんだ!」

逃げる人々の間から漏れ聞こえたそんなセリフが、兵たちの心を黒く染めていく。

結界は消えかかっている。

それはすでに厳然とした事実だった。

聖乙女は、死んだのだ…。

今王都は空前の人口になっているから、城に備蓄されていた糧食も、もってあと一月だと彼らは知っていた。それ以前に、魔月と絶え間なく戦う彼らの命があと一月もつ保障はどこにもなかった。

彼らを黒く支配しているのは、まぎれもなく絶望だっただろう。

しかし簡単に絶望に染まりきれないのもまた人間である。黒い絶望の中に、かすかな希望の光を彼らは皆抱いていた。

だから彼らは救いを求めるように、空を見上げる。

聖乙女の伝説にわずかな希望を託して、空を見上げる。

そこに今にも消えない虹がかかるのではないかと、目を凝らしてみるのだった。
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