契約違反
「話があるんです。聞いてください」


リビングにいた彼は、私の恰好を見て目を見開いた。


「それは、何のつもりだ?旅行にでも行くのか?」


聞いてないぞ。

そう言って、眼鏡をくいっと上げて、見つめてくる彼の鋭い瞳。

こんな顔を見るのも、今日で最後・・・。


「違うんです。私、契約違反をしちゃったんです。だから、出ていくんです」

「契約違反?」

「はい。ずっとずっと好きだったんです。ずっと―――・・・二度とここには来ませんから、迷惑かけませんから。心配しないで下さい。今までありがとうございました。一緒に過ごせた日々は、楽しかったです。さようなら!」



ちゃんと、言えた。

鞄の持ち手をぐっと握り締めて、駆け出す。

泣かないって決めたのに、涙があふれてくる。

滲んでぼやけた視界の中、何とか靴を履いてドアに手をかけた。


と。ダン―――!という激しい音と一緒にドアがビリビリと揺れて、私の体がびくんと跳ねあがった。


「お前なあ・・・」


呆れたような声。頭の上で、長いため息が出されてるのが分かる。


「勝手なこと言うな」


カチャ・・とドアが施錠されて、私は、彼とドアの間に閉じ込められる。


「だって、私、契約違反したんですよ?常に言ってるじゃないですか!俺を好きになるなって!私、もう嫌なんです!耐えられないんです!」


身動きしづらい中振り向いて見上げれば、背の高い彼の顔が目の前にあった。

眼鏡の奥の瞳が、いつもよりも優しく感じる。


どうして、そんな顔をしているの?

こんなことして、勘違いしちゃうじゃない。


「もう耐えなくていい。多分、先に契約違反したのは、俺の方だ」

「・・・え?」

「ていうか、気付けよな。何で、お前に赤いガーベラを持たせたと思うんだ」

「・・赤い、ガーベラ?」


疑問符を浮かべる私に、俺は不器用なんだよ・・そう囁く彼の唇が、ゆっくりと迫っていた。
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