いと。
「何飲む?甘口?辛口?」
突然手を握られたうえ、『勝手に君に触りたかった』なんて言われて心臓が飛び出そうだ。
きっと顔だって真っ赤になってる。
何でこの人はこんなに私の心を持っていくんだろう。
「あ……お任せしていいですか?ちょっと疲れてるので、甘めがいいです。」
「そ?了解。」
優しく微笑むと彼はカウンターの後ろのボトルを選び、シェイカーを使って優雅にカクテルを作りはじめた。
その動作は流れるようで、指先まで美しい。
「………多久島さんっていつも指先まで動きが整ってますよね。キレイです。」
自然とそう言葉が出る。
「……………」
あれ?無反応……。
「多久島さん?」
よく見ると彼の耳は赤く染まっている。
「あれ?耳が赤いで…」
「薫。」
「………え?」
「俺のこと、薫って呼んで?…アイちゃん。」
それは突然の申し出だった。
「いっ!いきなりですか!?何でまた急にそんなことを…!」
それにっ……!
「ダメ?…はい。これ飲んで感想を言って?必ず俺の名前を入れてね。」
低くて甘い声。そして反論の隙もなくその手から鮮やかな赤いカクテルのグラスが出された。
「………好きですね。有無を言わさず自分のペースに持ち込むの。」
「…どうかな、アイちゃん。」
「…………いただきます。
私の名前、誰かに聞いたんですか?」
出されたカクテルをひと口、いただきながら視線を彼に向けて問う。
「あぁ、今日いた子がアイさんって言ってたよ。違うの?」
カウンターに手をつきながら私を見つめる彼がそう言った。
それはきっと後輩の亜美ちゃんだ。体育会系出身の彼女はやたらと名前で呼び合うことが好きなようで、会社の書類を見て勝手にアイさんと呼び始めたのだ。
本当は………違う。
でも訂正はしなかった。今までもしたことはない。恋人だった人たちにも、本当の名前を呼ばせたことはない。
「………ちゃん?アイちゃん?」
呼ばれたことに気づいてハッと顔をあげる。
「お口に合わなかった?それとも疲れてるのに無理に誘ったからかな。大丈夫?」
心配する表情とその声。
ダメだ。こんな顔させたくない。
「大丈夫です。コレ飲んだら美味しくて元気出ます。」
努めて明るくそう答える。
「アルコール少なめですか?前回来た時頂いたのよりジュースっぽい気がします。」
「うん、そう。『ジャックローズ』。君にとってはきっとアルコールのうちに入らないだろうね。それで?」
「……?」
「忘れたの?」
………あ。
『薫って呼んで』
その言葉が耳に浮かぶ。目の前でニコニコと微笑む彼は明らかに私の一言を待っていた。
「…えっと…美味しいです。……薫さん。」
まんまと彼の思うつぼにはまってしまった私。
この日を境に彼はじわじわと、でも確実に私との距離を縮めてきた。