いと。
「…濡れるだろ?来いよ。」
差し出された手にすら嫌悪感を感じる。
「ついては行きません。……話をしにいくつもりではあったけど。」
「話を?…あぁ、やっと決心したのか。待ちくたびれて無理やり署名捺印させようかと思ってたところだったんだ。」
「なっ!と…にかく、ついては行きません!」
「行くとこないんだろ?」
無表情で淡々と語る様子はなんて事務的なんだろう。大体、行くところがないなんて何で知ってるの。
「…自分で探します。私はひとりで生きる。」
「…へぇ。まともに立つこともできないそのフラフラな身体で?」
バカにするような口調も耐えられない。こんな人と夫婦になれだなんて。
「あなたには関係ない。」
「あるだろ。オレは婚約者だ。」
「違う。結婚は絶対しない。」
「…諦めろよ。オレはお前を逃さない。」
「……逃さない?親に用意された結婚を言われたとおりにしようとしてるだけでしょ。他を当たって。」
冷静に話をするつもりだったのに、体調の悪さからの焦りもあり、思わず挑戦的な口調で言い合いになってしまう。
「………愛。」
どくんと、ビクついたように心臓が鳴る。
「…その名前で呼ばないで!
そう呼んでいい人は………っ!」
目の前に真っ暗なシャッターが降りる。
記憶は、そこで途絶えた。
『そう呼んでいい人は、もういない』
もう、いないんだ。