冷徹なカレは溺甘オオカミ
「……印南くん」

「はい」



堅い声で名前を呼べば、仕事中のようにすぐに返事をしてわたしと目を合わせた。

そんな彼の無表情を見て、少しだけ冷静になる。


……わたしが『キスして欲しそうな顔をしてた』から、印南くんは“偽彼氏”の責任でそれに応えようとした。

絶ッ対そんな顔はしていない自信はあるけれど、でもそれがさっきの行動の理由なら、印南くんはやはりわたしのことなんてすきではないということ。

つまり、そういうこと。わかっていたこと、だ。

そう考えたら、またさっきよりも、頭の中がすうっと冷えたような気がした。



「あのね、たとえ、印南くんにはわたしが何かして欲しそうに見えたとしても……別にそんなの、あなたが無理して叶える必要はないの」



言いながら、なんとなく彼の目を見ていられなくて、視線を夜景へと移す。



「……だってわたしたち、お互いにすき合ってるわけじゃ、ないんだから」



一瞬の間の後、「そうですか」と声が降ってきた。

彼のその淡々とした声音は聞き慣れているはずなのに、どうしてか少しだけ、胸のあたりがちくりとする。

そう感じた理由が自分でもわからなくて、だからわたしは、その痛みに気づかなかったフリをした。



「……中に戻ろう。もうすぐ、港に着く時間だから」



ぽつりとつぶやき、彼の返事を待たず、そのまま船内に続くドアへと足を向ける。

印南くんは無言のまま、わたしの後を追ってきた。


──自由に振る舞っているように見えて、その実いつでも、年上や目上の人に従順な彼。

今はなぜか、彼のその素直さが、やけにわたしの心をもやもやさせた。
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