冷徹なカレは溺甘オオカミ
「ふぁ……」



小さいけれど、たしかに耳に届いた気の抜けた声。

白く細い指先で口元を隠すようにしながら、柴咲さんはあくびを噛み殺していた。



「………」



その光景から目を離せずに、固まる俺。

あくびなんて、大人だろうが子どもだろうが誰だってする。

それでも今視線の先にいる人物がそれをしているというのが、どうにもめずらしいというか、意外で。

だって異動してから今日まで、彼女のこんな無防備な姿を見たことがなかったのだ。

あくびも、くしゃみすら聞いていない。いつもしゃんと背筋を伸ばして、化粧や身なりだって完璧で、隙なんて見当たらなくて。

そんな彼女がたった今、自分の目の前で、眠たそうにあくびをしている。

初めて見るその隙が、どうにも俺の興味を引いて離さない。



「……あ、」



さすがに俺の無言の圧を感じとったらしい柴咲さんが、ふとこちらに目を向けた。

バチリと、絡まる視線。まさか俺に見られていたとは思っていなかったらしく、元から大きな彼女の瞳が、さらに見開かれる。


無言で彼女と目を合わせたまま、怒られるかな、と頭の片隅で思った。

「余所見してないで仕事しなさい」と怒られるか。もしくは「仕事中にあくびしちゃってごめん」なんて律儀に謝られるか。

そんな予想をたてながら、固まっている柴咲さんの次の反応を待つ。
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