冷徹なカレは溺甘オオカミ


◇ ◇ ◇


そして、印南くんいわく“時間外業務”の決行当日。

仕事を切り上げたのは、定時を少し過ぎたあたりだ。
いつものように更衣室で私服に着替え、同僚たちに「お先に失礼します」と挨拶をしながらオフィスを出た。

偶然止まっていたエレベーターにすかさず乗り込んで、1階のボタンを押す。


……とうとう、この日が来てしまった。

ごつん、と壁に頭の側面を寄りかからせて、深くため息を吐く。

今日、わたしはバージンを卒業する。恋人でもなんでもない、職場の後輩男子の力を借りて。

まさに、決戦は金曜日だ。別に強大な力は生まれてませんけど。


あの日、印南くんに“業務命令”をとりつけた月曜日から、時間が経つにつれて冷静になって、それが今度は焦りに変わってきて。今なんかもう、焦りを通り越してだいぶビビっている。

うーん、わたし、大丈夫か。
こんなんで、この後印南くんと対峙できるのだろうか。


昨日、木曜日の夜に、また彼からメールが来た。

相変わらずの堅い文面で、今日の予定のことだ。

【18時半に、会社近くにあるコーヒーショップで待ち合わせ】だって。一緒にオフィスを出ないのは、一応、会社の人には見られないようにとの配慮らしい。

わたしがさっきオフィスを出たとき、印南くんは素知らぬ顔でデスクについていた。

今はまだ18時前だし、きっとうまくタイミングをずらして出てくるつもりなんだろう。

……抜かりないわー、印南くん。同僚たちも、まさかこの後わたしと彼が会うなんてこと、夢にも思わないだろうな。


チン、と軽い音をたてて、エレベーターが1階に止まる。

重そうな扉が開くのと同時に、無意識にため息を吐いて。

それからバッグを肩にかけ直し、わたしはパンプスに包まれた足を踏み出した。
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