契約結婚の終わらせかた
「伊織さん、私がいますから」
私は、もうひとつだけ伝えたかったことを言葉に乗せる。
「あなたは、ひとりじゃないんだって……。確かに私たちは契約がきっかけですけど……家族になれると思うんです」
「家族……?」
「はい。別に、本当の意味での夫婦ではなくても、家族にはなれます。来年の春までですけど……私は、伊織さんの家族でいたいんです。ダメですか?」
「………」
伊織さんは困惑している……ううん、混乱してる。家族って言われて。きっと意味がわからないんだろう。
だって、伊織さんには今まで家族がいなかったのだから。急にそれを理解しろと言われても無理だろうし。
私は、そっと伊織さんの手を取って両手で包み込む。少しひんやりしたそれを、いつか暖めたいと思ってた。
「難しいことは何もありません。一緒の時間を過ごして一緒に暮らすだけです。私も特別なことは何もしませんから、伊織さんは普段通りに過ごしてください」
「……そうか」
気のせいか、伊織さんの顔から強張りが解けて少し落ち着いたふうに見える。
そして、彼はぽつりと呟いた。
「……アンチョビという缶詰めのサンドイッチが美味いらしいな」
「はい! 今度、作りますね」
「あのバカ猫を俺のベッドに常駐させるな」
「それは難しいですよ」
クスクスと笑いながらも、ぽろぽろと涙がこぼれる。
「バカ」
そう言いながらも、伊織さんがポンと載せてきた手のひらは優しくて。私は、泣き笑いで彼を見上げると。
彼は……ほんのちょっとだけ笑ってくれたような気がした。