やさしい恋のはじめかた
見上げると、稲塚くんの顔は不安そのもので、コーヒーのお礼とは言っているものの、きっとキツい言い方をしてしまったことに対する罪滅ぼしのつもりだろうとすぐに察しがつく。
そんな彼にクスリと笑うと「いいよ」と承諾の返事をして、パソコンをシャットダウンし、帰り支度を整える。
ちらりと稲塚くんを窺うと、例の資料をビジネスバッグに入れているところだったので、自宅に帰ってから目を通してくれるつもりかもしれないと思うと、自然と口元が緩んでしまった。
稲塚くんのこういうところ、可愛いんだよな。
不甲斐ない先輩でもどうにか立ててくれようとしているところが、やっぱり彼らしい。
そんな稲塚くんと向かったのは、いわゆる“立ち飲み居酒屋”というものだった。
お店の暖簾を目にした途端、メシ奢ってくれるんじゃ……という気持ちが素直に顔に出てしまっていたらしい私に、彼は男らしくも「俺、彼女いるんで」となんとなく失礼なことを言って悪びれる様子もなくニカッと笑う。
先輩といえども、私も一応女の端くれだ。
彼女に誤解されないためのチョイスだったと、どうやらそういうことらしい。
「ここは牛筋の味噌煮込みがめちゃウマなんです。騙されたと思って食べてみてください」
失礼ながら意外にも繁盛している店内にて、2人並んで立てるスペースに陣取った私たちは、とりあえず生ビールで乾杯した。