やさしい恋のはじめかた
 
「……ちょっと、分かんなくなっちゃって」


やっとのことでそう声を絞り出せたのは、目の前に置かれたコーヒーのマグカップから湯気が立たなくなってからだった。

桜汰くんのほうに顔を上げられないまま、太ももの上に置いた自分の手を爪が食い込むまで握りしめ、嗚咽が漏れないよう歯を食いしばる。


「前々から、彼にお見合いの噂があったの。相手は人事部長の娘さんで、彼のCMの大ファンでね。……でも、それだけじゃなかった。彼女は彼のことが本当に好きで、会っただけでドギマギしちゃうくらい“河野大海”そのものに恋をしてた。そんな彼女を見て、私、一瞬で女として適わないなって思っちゃって。……彼に形式上だけでもいいからお見合いに応じていいかって聞かれたとき、いいよって言っちゃった」


凛子さんの姿を思い出そうとすると、お見合いの決め手となった、あの上谷部長に連れられて部署にやってきたときの姿しか思い出せない。

私とは桁違いに“女性”な彼女の、ちょっとかわいそうに見えるくらい緊張した可愛い姿。

態度で大海のことが大好きなのが丸分かりで。

大海との交際をひた隠しにしてきた私とは全然違うなって、そのとき思い知った。


「そしたら今日、新しい噂を聞いちゃって」

「新しい噂?」

「……お見合いの席で彼女が大海に逆プロポーズしたらしいって。そこまでされたら、大海もそろそろ腹を決めるだろうって」
 
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