やさしい恋のはじめかた
「よ、よちよちって……」
赤ちゃんじゃないんだから、そういう言い方やめてよ。
恥ずかしさを通り越してなんだか猛烈に悔しくなり、たまらずそう言い返すと、頭の上で桜汰くんがケラケラと笑い声をあげる。
その声は私の心境なんてお構いなしに実に楽しそうで、少しして自分でもそれはないと思ったのか、相変わらず楽しそうにしながら「30歳手前の里歩子によちよちはさすがにないか」と、それにもまた声をあげて笑いはじめてしまった。
「ほんとだよ……。私のことなんだと思ってるの。自分だって30超えてるくせに」
「ぶはは。ほんとだな。悪い、悪い」
「……それ、謝ってないからね。一生根に持つレベルだからね」
そう言いながら見あげると、まだまだ楽しそうな桜汰くんが、その表情のまま私を見下ろした。
トレードマークの無精ひげ、タレントから指名が入るだけあって、髪型も常に最先端どころか一歩も二歩も先を行っているようなお洒落なもの。
しかも31歳のくせにそれがとても似合っているから、なんだか腹立たしささえ覚えてしまう。
でも、真っすぐに私を見下ろす瞳は、あの頃と――10年前とひとつも変わらず、一点の淀みもなく澄んでいる。
その瞳に今は私だけしか映っていないことが、なんだか不思議だった。
恋愛感情を抜きにしても、10年の付き合いって、思えばすごい。
人生の3分の1の時間を関わり続けるなんて、家族や親戚や、そういう血のつながり的なものでもなければ、なかなかそうはいかないかもしれない。