その愛の終わりに
とりあえず家を出よう。
それだけを考えていたため、特に行き先を決めていなかったことに、車に乗ってから美都子は気づいた。
「それでは奥様、どちらまで?」
気まずそうに恐る恐る尋ねる運転手に、なんと返したものか。
浅草、上野、東京駅など、あちこちの場所を思い浮かべるが、行きたいと思える場所がない。
「ちょっと待ってちょうだい」
視線が下に落ちると、ふと薬指に光る小粒のダイヤモンドが目に入る。
この指輪は、二年前の祝言の前日に義直から贈られたものだ。
欧米では婚儀の際に夫婦が左の薬指に指輪を嵌めるのだと言い、美都子の薬指に嵌めたのだった。
「東京大神宮に行くわ」
無意識のうちに告げた行き先は、美都子が義直と婚礼の儀を行った神社であった。
車のシートに体を沈め、目を閉じる。
まるで昨日のことのように、結婚式の日の記憶が鮮明に蘇る。
優しい姑、ユーモアがあり寛容な夫、華族という身分。
良縁に恵まれたことを喜び涙する両親。
あの日の自分は、世界で一番幸福な花嫁だった。
しかし夢から醒めた今、自分はどこにでもいるただの人妻だ。
夫の浮気に悩み、苦しみ、それを世間に知られまいと気張る、よくいる人妻。
ブレーキの鋭い音にハッと意識が戻る。
美都子が思考の海に沈んでいる間に、車は東京大神宮の近くに停まっていた。
「ご苦労様。今夜は適当にどこかの宿に泊まるから、あなたはお帰りなさい」
「奥様、お帰りはいつに……?」
「明日の昼までには帰ります」
運転手の問いかけには簡潔に答え、美都子は小さなハンドバッグだけを供に車から降りた。
鳥居までゆったりと歩き、小さく一礼し聖域へと足を踏み入れる。
さっと吹いた一陣の風は冷たいが心地よく、美都子は己の体が軽くなったように感じた。
清々しさに心が洗われるも、続いて本殿を見上げた時、あっという間に祝言を挙げた日の記憶が蘇る。
ふと、美都子は今目の前で何やら真剣に祈っている男性にも苛立ちを覚えた。
今はこんな調子でも、時間が経てば浮気するに違いない。
東京大神宮は縁結びでも有名な神社ではあるが、まったく御利益などなかった。
心の中でそう毒づくうちに、参拝を終えた男性が振り向いた。
その顔を見て、美都子は目を丸くした。
「山川さん!」
山川のほうも、涼しげな瞳を大きく見開いて驚きをあらわにしている。