恋は死なない。


和寿につられるように立ち上がっていた佳音は、呆然として工房の真ん中に取り残される。
さっきまで暖かさで満たされていた工房の空気が、一気に寒々しくなってしまった。


こんな風に和寿がすぐに帰ってしまうのはいつものことなのに、がっかりしている自分がいる。
こんな思いに気づいてはじめて、佳音は和寿との楽しい時間に心を弾ませていたことを自覚した。
悲しいような情けないような気持ちが充満してくる。佳音は唇をキュッと噛んで、このやるせない気持ちを抑え込んだ。


ふと、ダイニングの椅子にかかっている和寿のジャケットが目に留まった。あまりにも急いでいたので、忘れて行ってしまったらしい。


佳音はそこに駆け寄って、ジャケットを手にした。そのまま靴を履いて和寿を追いかけていこうとしたが、玄関先で思いとどまった。
和寿がどっちに向かって走って行ったのか、佳音には分からない。あの急ぎようでは、もうこの近辺にいるはずもない。

佳音はダイニングに戻って、和寿に連絡を取ろうと思ったが、電話番号もメールアドレスも知らなかった。


幸世に伝えてもらうことはできるかもしれない。…でも、佳音は幸世には連絡をしなかった。後ろめたさに、チクン…と胸に痛みが走ったけれども、幸世には和寿がこんな風に来ていることは知られたくなった。


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