キミが欲しい、とキスが言う
私は、ゆっくり首を横に振った。
「私にとっては、いらない奇跡だったわ。確かにあなたは浅黄の父親よ。でも、私の夫には一度だってなってはいない。私、あなたがとても好きだったわ。連れて行ってくれるんじゃないかって期待もしてた。でも現実は違った。あなたは私を切り捨てたのよ。簡単に許せるほど、軽い傷じゃなかった」
「違う」
「違わないわ。さっき、自分で言ったんじゃない。一緒にいる未来が、考えられなかったって」
私は、馬場くんを見つめた。
細い目の奥の、柔らかい光。彼が語った言葉が、よみがえる。
小さなお店、仕切りの低い、厨房からもお客が見えるようなそんな開けたお店で、料理をする彼。エプロンをつけて給仕にいそしむ私。大きくなった浅黄は、きっとカウンターあたりで勉強でもしながら、それを見ている。
「……彼は、未来を描いてくれた。まだ付き合ってもいないうちから、私との未来を想像してくれたの。あなたに想像できる? 小さな飲食店で、お客さん相手にお店を切り盛りする私。自分でも想像できなかったけど、言われてみたらしっくりくるような気もした。そして、そんな姿を描いてくれる人なら、上手くやっていけるのかもしれないと思えた」
「……アカネ」
「だから私、彼と一緒にいたいって思うの。……馬場くんが好きなの。あなたは、私の人生にとってはもう過去の人なのよ」
ダニエルの白い肌に赤みが差す。小さくこぶしを震わせながら、「でも」とつづけた。
「アサギは僕の子なんだろう?」
「そうね。でも、浅黄だって今まであなたなしで生きてきた。私は浅黄を手放す気はないわ。あなたとたまに会うくらいならいいけど、渡す気はありません」
「だったら僕はアサギの親権を要求する。DNA鑑定をすれば僕の子であることは判明するだろ? アカネが取り戻せないなら、せめてアサギを……」
パンと乾いた音がする。私が、ダニエルの頬を打った音だ。彼の白い頬にうっすらと赤みが差す。