キミが欲しい、とキスが言う
「……軽蔑させないで、ダニエル」
「アカネ」
「あなたに何が分かるの。この子の事何も知らないくせに、ダダをこねないで。私と浅黄は、今まで必死に生きてきたのよ。……私は」
喉が苦しくて、声が詰まる。こみあがってくる涙は熱かった。
「この子がいたから生きてこれたのよ」
「お母さん」
私のお腹に抱き着いてくる浅黄も、泣いていた。ダニエルは絶句したまま立ち尽くしている。
「帰れよ」
ぼそりと馬場くんがつぶやいた。
そして、父に罵声を浴びせたときのように、壁を強くドンと叩く。
「茜と浅黄を泣かすな」
凄みの効いた声と怒りのオーラに、かばわれている私たちの方までびくついてしまう。
言われたダニエルは完全にすくみ上っている。
「わ、分かった」
ダニエルは慌てたようにそういうと、胸ポケットから一枚の名刺とペンを取り出し、携帯番号を書き込んでその場に置いた。
「僕の連絡先だ」
「いらないわ」
「困ったときに頼ってくれるだけでいい。僕は……」
私の腕の中にいる浅黄の頭をそっと撫でた。
「君が僕の子を産んでくれたと知って、ますます君が好きになった」
真剣な顔でそういう彼には、いつだって悪気なんてないんだろう。
でも、馬鹿ね。
最後にそんな言葉をかけるなんて残酷だと思わないの?
「……遅いわよ」
「そうだな。僕は遅すぎたんだな。……後悔してる」
「私はもう後悔はしてないわ」
ダニエルと別れたことも、浅黄を産んだことも、後悔なんてしていない。
浅黄の存在が、私を導いてくれた。そしてだからこそ、馬場くんにも出会えた。
ずっと先のことなんて考えられなかったけれど、ようやくこれがいいと思える未来にたどり着いた。
「Goodbye, Daniel」
「……Goodbye,Akane.……Sorry」
彼の名前が“全ては神の御心のままに”だと、教えてくれたのは母さんだったっけ。
寂しそうに微笑む彼を見ていたら、そんなことを思い出した。
彼は私と浅黄を見つめ、最後に馬場くんに頭を下げて背中を向けた。
心の中でもう一度さよならを言う。
さよなら、私の過去。
浅黄をくれてありがとう。