イヌオトコ@猫少女(仮)
ひとしきり状況説明が終わると、げんなりした笑結。

もう昼近くになっていた。


「あんたみたいな奴が吹奏楽部の臨時講師だなんて…最悪」


降りたバス停から学校まで乗り直す道中。


「吹奏楽部のセンセーが入院なってもうたし、近々演奏会もあるらしいな。

非常勤の希望は出しとったけど、まさか関東圏とはな。

ま、師匠のピンチヒッターちゅうわけですわ」


通勤通学のラッシュを終えた時間帯で、

後ろの座席に老婆が一人、うとうとしているだけだった。


外は寒いが車内は暖房が効き、座っているとほっこりしてくる。


少しでも離れたかった笑結は、
通路に面した長椅子の奥に座り、
隣に荷物も置いたのに、わざわざ目の前に立ち、


ポールに寄り掛かって前屈みで話し掛ける。


「近い!もう!!」


手で払うが、関西人には距離感という概念があまりない。


「まあまあ、ええやん。仲ようしよやチョロ吉ミケ子。

なんや初めて会うた気せーへんわ」


何なのこの犬みたいな男は!何言っても堪えないし。


笑結は眉間にシワを寄せ、


「誰がチョロ吉ミケ子よ!!だいたいあんたから吹奏楽のすの字も

出てこなかったわよ!代任の先生が来るとか聞いてたけど」


「いつまでも膨れてたら可愛いお顔が台無しやで?」


三年はある程度聞いているだろうがまだ二年の笑結は改めて

聞くこともなかった。


「あんた、やのうて、葦海、あしうみ、たすく。名前くらい

覚えてや、センセーでもええで、三毛猫の、毛糸のパンツで

チョロチョロしてそうやから、チョロ吉、チョロ吉ミケ子やん、ミ〜ケ子」


うひゃひゃ、と笑い覗き込む顔を
ぎゅ〜っと向こうに押しやる。


「うるさ〜い!ミケ子じゃない!桜水、さくらみ、えみゆ!

そっちこそ名前くらい覚えなさいよ!大体、何でそこまではっきり
覚えてるのよ!?ガッツリ見たんでしょう!?」


「目の前であんだけ派手にコケたら、見たなくても見えるわな」


確かに、ミィを飼い始めた当初、この毛糸のパンツを見つけた

母が買ってきてくれたとき、嬉しくて部屋の中で履いて走り回った記憶がある。


その頃から体型はほぼ変わっていないのでまだ使え、さすがに

外では履けないので寝るとき用にしていたが、

そこまで見透かされた気がして笑結はムキになる。


「笑結?みけつ、みけ!やっぱりミケ子やん!我ながら天才的やな」


さらに笑い転げる葦海。


人の名前を捕まえて笑い物にするとは、と、さらに怒りに火が点く。


「ほんっと!よく喋る口ね!!たまには閉じたら?口渇くでしょう?」


葦海の手が伸び、笑結の頬を片手でにゅ〜っとタコにすると、


「チューするときは口閉じるわな、試してみるか?」


「ばっかじゃないの!?」


顔を真っ赤にし、ふん!と横を向く。


「おもろいなあらチョロ吉、あー涙出てきた」


眼鏡越しに目を擦る。


「あんたなんか大っ嫌い!どいてよもう!!ここで降りるんだから!」

笑顔で人を結ぶ女性になってほしいと付けてくれた、と聞いたことがあった。

そんな名前も虚しく、

幼い頃から小柄でチビやちび子と、あだ名でからかわれ続け、

ずっとコンプレックスになっていたことを、

未だにしかも初対面の人間に、こんな形でバカにされるとは。


あまりの悔しさに、泣きそうになりながら荷物を手に

立ち上がって押し退けようとした。


「なんや?ここで降りるんか?」


ふいに、車体が横揺れした。
何かを避けるためにハンドルを切ったようだ。


油断していた葦海はポールから手を離し、小銭入れを出すのに

上着のポケットに手を入れていた。


何とか踏み止まったが、尻餅をついてしまう。

その葦海につまづいて支えも掴まるものもなく前に倒れ掛かった笑結。


「えっ…」

「おっ」


古典的なドラマのような展開だ。

顔が近づき、唇が触れた。


柔らかい感触と、長い髪が顔の前でふわりとなびき、

ボディソープとシャンプーのいい香りがした。が、


「すみません!大丈夫ですか?!」

ミラー越しに掛けた運転士の声にはっ!と我に返る。

目を覚ました老婆も目の前の光景に頬を赤らめる。


「あれまあ」

「痛!重!」


尻は痛かったが、本当に重かったわけでもなかったが、

関西人特有の短い単語で気恥ずかしさをまぎらわせ、空気を壊した。


スマートな紳士なら、おっと失敬、お怪我はありませんかお嬢さん、

などと出てきそうだが、キザな台詞や甘い雰囲気がものすごく苦手だった。


最もそんな場面でもなかったが。

言わされようものなら、サブイボでるわ!と一蹴される。


「し、失礼ね!」


と、初めて間近で見たその顔が、今朝夢で見た男の顔と

フラッシュバックで重なった。

なんとなく引っ掛かっていたものが取れた気がした。


しかも夢と同じで結構細マッチョ、完全に夢の中での

インパクトが勝ってしまった。


唇が触れたショックよりも顔がドツボに入ってしまった笑結は

笑いをごまかすために、とっさに顔を背けた。


「なあ、ごめんて」


バスを降り、学校に着くまでの10分ほどは徒歩で、

逃げるように早足で歩く笑結に追い付いた葦海。


「なあ、ごめんて」


頭を掻きながら、困った様子で付いていく。


「付いてこないで!」


どうしよう、どうしよう、と思いながら息を切らせて歩く。

ようやくツボから抜け出しかけていた。


「いや…付いてくんな言われても、職場やし。なあ、ごめんて」


必死であの場の空気をごまかしたが、キスをしてしまったことで、

べそをかいていると思い込んだ葦海は、謝ることしかできなかった。


「もう、ほっといて!」


掴まれた腕を振りほどいた瞬間、ふと目が合ってしまった。


「ぷっ」


ふいに、我慢していた笑いが再び込み上げ、慌てて抑え、

顔を背けたが遅かった。


「ぷっ?」


しまったと思った。


「ぷって、なんや、おい」


口を押さえていた手を掴まれ振り向かされる。言い逃れできない現行犯だ。


「お前!お前なあ!泣いてたんと違うんかい!おい、こら」


泣かせたわけではなかったと、なんとなく安心した葦海は

大阪人のノリで絡み出す。


「ごめんなさい!ごめんなさい!もう笑いません!あはははは!!」


ついに壊れた笑結。


「ええけどや!何か腹立つなあ。なんやねん、お前。

毛糸のパンツ履いてるくせに、初対面の人間に噛みついてくるわ、
顔見て笑うわ」


あのままでは、またどこかで、かかなくていい恥をかくと思った笑結は、

やむなく途中のコンビニでインナーを買い、トイレで替えさせてもらった。


「もう!それ、学校では言わないでくださいね?」


涙目で拗ねる笑結。


「あー!そうや思い出した!!お前、昨日夢に出てきた奴や!

どっかで見た顔や思ったら」


言って指をさす。


「なんや夜道で追いかけられとったから助けたったのに、

顔見てケラケラ笑いやがって。やっぱり腹立つ奴やった」


「えっ…」


同じ日に同じ夢を見たということか。笑結は少しぞくりとした。


「そ、それはあなたの格好が…」


といっても伝わるまい。


にんまり笑う葦海。


「さあて、どうしようかな、俺は日本一口の柔らかい男やし。

ていうか先輩と後輩には、もうバレてんもんな」


「そ、それはあなたがバラしたんじゃないですか!」


校門で待っていた事務員の女性が、

「やっと来ましたね?!校長先生がお待ちですよ!」


状況が飲み込めず、戸惑いながら声をかける。

カップルがじゃれているようにしか見えなかった。


「ああ、はい。すんません。すぐ校長室行きますんで。ミケ子も行くで」


首根っこを掴まれる。


「わかったから!放して!」



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