ピュア・ラブ
獣医は、弱っている猫の手をそっとあげ、私にバイバイをした。
腹を痛めた子供でもないのに、涙がでそうになる。
私は、泣いた記憶がない。映画を観たってどこか他人事で、感動はするが、それ以上の感情は湧かなかった。
血も涙もない女だ、と思っていた。だけど、今目の前にいる瀕死の猫をみて、愛おしさに胸が締め付けられた。
診察室の奥にもう一枚ドアがある。そこのドアを開け、獣医は私の猫を連れていった。

「よかった、ほんとうに」

この病院とあの獣医が、私の救世主に見えた。それほど安心したのだ。
実際、親が死んでも喜びはするが、悲しんだりはしないだろう。
拾った猫のように道端で、怪我をして瀕死の状態であっても助けはしないだろう。私の両親への憎悪は、ある域に達するほど深いものだった。
座って待つソファもあるのに、落ち着かない気分で立っていた。
診察室とは別に受付の後ろにあるドアが開く。
猫を診察した先生がそこから出てきた。
受付の中にある引き出しを開けて、紙を一枚取り出した。
それをカウンターに置くと、こう聞かれた。

「ぐったりとしてはいますが、これから治療して行けば大丈夫でしょう。大変失礼ですが、確認をさせて下さい。あの猫ちゃんは飼われる予定ですか?」
「はい、もちろんです」
「野良猫を保護した場合、預けてそのままにされてしまう方もいらっしゃるので、確認をさせていただきました。気を悪くなさらないで下さい」
「いいえ」
「ではこちらに、住所、お名前、電話番号、それから、猫ちゃんの名前を書いて下さい」
「はい」
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