29歳、処女。
次に喜多嶋さんは櫛を持ち、濡らした髪に歯を当てた。


髪を引っ張ったりしないように、と気をつかわれているのが分かる。


まるで宝物に触れるような、優しい手つき。


そう考えた瞬間、喜多嶋さんに髪を触られているという事実を急に実感させれて、だんだんの心臓の動きが激しくなってきた。



二人とも声を出さないから、髪をすく櫛の音と、喜多嶋さんの衣擦れの音だけが耳に響く。



どきどきする。


喜多嶋さんは触れ合うか触れ合わないかのぎりぎりの距離に立っていて、それでも、その体温の気配が背中に感じられる。


こんなに近くにいるという感覚が、さらに私の頬を紅潮させる。



なに赤くなってんだよ、と言われるかと思ったけど、喜多嶋さんは無言のまま、私の髪を整えつづけていた。



「ワックスもつけていいか?」



確認するように言われて、私は少し目線を逸らしたまま頷く。



喜多嶋さんはワックスの蓋を開け、指先ですくいとり、両手の掌にのばした。



ふわ、と軽く髪になじませる。


その感触が優しくて、さらに鼓動が早くなる。



「雛子はさ」



突然、喜多嶋さんが前屈みになって、私と視線の高さを合わせてきた。


思いがけない近さにどきっとしつつも、「なんですか」と答える。



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