奏 〜Fantasia for piano〜

「五歳の頃の奏は、音が足りてなくても楽しくピアノを弾いてたよ?
プロは無理だとしても、あの頃みたいにーー」


あの頃みたいに趣味で楽しく弾いてよと言いたかったのに、途中で言えなくなってしまった。

それは奏が冷ややかな目で、蔑むように私を見ているからだ。

声のトーンを下げて、奏が言う。


「子供だから音が足りなくても許された。今は誰に許されても、俺自身が許さない。

楽譜通りに弾かないことは、曲への冒とくで、作曲者への侮辱だ。ピアノを習っているのに、綾はそう思わないんだね」


私はただ、奏にピアノから離れてほしくないだけで……。


言い訳は心の中だけにして、安易な発言について「ごめんなさい」と謝った。

奏は「いいよ」とだけ答えて、黙々とパンを口にする。


コンクール用の曲を練習していたとき、先生に作曲者がなにを思ってこの和音を入れたのか、よく考えなさいと指導されたことを思い出していた。

プロのピアニストを目指しているわけじゃない、ただ成長の記念としてコンクールに出てみただけの私には、楽譜通りに弾くことや、連なる音符の意味を考えなくてはならないことが、不自由で窮屈に思えた。

奏はそういう世界にどっぷり浸り、学問として音楽を学んできたから、適当に楽しく弾くことを許せないのかな……。


楽譜通り、正確に弾けないのなら、ピアノとキッパリ決別すると決めた奏。

その決意に、私なんかが口出すべきじゃないのかも。

でも、そうすると、奏は情熱を失い、冷めたままだよ。

私との想い出も、切り離されたままで、今の奏の心に戻されることはない。


そんなの寂しいじゃない。

奏の笑顔が見たい。

もっと楽しそうに生きてほしい。

そのために、私になにができるだろうと考えることは、間違っているのだろうか……。



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