奏 〜Fantasia for piano〜
奏がアコールのドアを開け、先に私を通してくれる。
店内に足を一歩踏み入れると、カランコロンと鳴るドアベルに被せるように、奏が耳元で囁いた。
「あまり可愛いこと言ってると、襲っちゃうよ。
俺も男だから、発言には気をつけて」
途端に動けなくなる私。
口をあんぐりと開け、真っ赤な顔で立ち止まる。
クスリと笑う奏はその横をすり抜けて、マスターに挨拶してからカウンター裏に消えていった。
「綾ちゃん、いらっしゃい。
あれ、どうしたのかな?」
マスターに声をかけられ、ハッと我に返る。
奏にからかわれた……。
距離が縮まった気がして、こういうのは嫌じゃないけど困る。
ドキドキしすぎの心臓が壊れてしまいそうだから、そっちこそ発言には気をつけてと、言い返したい気持ちがした。
その後はカウンター席に座り、マスターや常連客のおじさんと、しばしおしゃべり。
奏は黒いエプロンを着て、私のためのカフェラテを作っている。
「綾ちゃん、今、ピアノのレッスンでなにを練習してるんだい?」とマスターに聞かれ、「プーランクの十五の即興曲の十三番です」と答える。
ひと月前からずっと同じ曲。
レッスンは月に二回しか入れてないし、ピアノセンスのない私なので、曲によっては仕上げるまでに半年もかかってしまう。