伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
「……ご家族のことは、存じません。十五歳で爵位を継がれた、とは聞いていますが……」

「そうか……。どうか、これからもライルを支えてやってほしい」

「……はい……」

家族のことは気になったが、アンドリューもそれ以上、口に出さなかったので、クレアも尋ねるのをやめた。

「僕は、ライルには幸せになってもらいたいと願ってるんだ。クレアは花壇を見に行くんだったね。邪魔をして、悪かった。僕はそろそろ失礼するよ」

そう言うと、アンドリューはベンチから腰を浮かせた。クレアも見送るために、一緒に立ち上がる。

地面に落ちた図鑑の存在をすっかり忘れていた。クレアは踏み出そうとした靴のつま先を、分厚い図鑑の端に引っ掛けてしまった。

「あっ」

そのせいでバランスを崩し、体がよろける。

前に転びそうになった瞬間、助けてくれたのはアンドリューだった。

「危なかった」

安堵する声が上から降ってきて、クレアはアンドリューの胸に、もたれ掛かかるようにして抱き止められていることに気付いた。

「あ……ごめんなさい」

「大丈夫? 気を付けて」

「はい、ありがとうございます」

顔を上げ、間近でふわりと微笑むクレアに、アンドリューの視線が釘付けになる。

相手は従兄の婚約者だぞ、と自分に言い聞かせながらも、クレアの体に回した腕をほどくことが出来なかった。

「アンドリュー様……? どうさなかったのですか?」

警戒心無く、聞き返してくるクレアに少し虚しさを覚えて、アンドリューは、そうだよな、と小さくため息をついた。

「何でもないよ」

アンドリューの腕が離れ、クレアがベンチの帽子を取ろうと体の向きを変えた時、

「あ……ライル様……」

バラ園の入り口から、早足でこちらへ向かってくるライルの姿があった。


< 105 / 248 >

この作品をシェア

pagetop