伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
吸い付くごとに赤みを増していくクレアの唇を見て、もう止めなければ、とライルの中に残っていた理性が訴えかけてくる。

分かっている。

これが独り善がりの勝手な、最低な行動だということも。

分かっているのに、一度、火の点いてしまった独占欲を鎮めるのは、容易ではなかった。



……クレアを『見付けた』のは俺だ。

誰にも渡すものか。







あれは二ヶ月前。

コールドウィン侯爵家主催の舞踏会の夜。

侯爵家とは昔から付き合いが深いこともあって、ライルは久々に顔を出すことにした。

到着早々、ブラッドフォード家と懇意になりたい貴族達や資産家達に取り囲まれ、目立とうと必死に着飾った令嬢達からはダンスに誘って欲しいと言わんばかりに熱い視線を送られ、きらびやかな世界に見え隠れする人間の見栄と欲にうんざりしていた頃。

壁際にポツンと立つ少女を見掛けた。

少々場違いな、地味なデザインのモスグリーンのドレスを着た少女は、時折、周囲に目を向けるものの、連れらしき人物もおらず一人だった。

その雰囲気から、初めて社交界に出てきたというのは一目瞭然だった。

今日が初めてという娘は、どの日でも少なからずいるが、エスコートしてくれる相手もおらず、彼女の心細そうな顔が気になった。

だが、他の招待客と少し世間話をした後、気が付くと、その少女は男性客と庭に出ようとしているところだった。

エスコートしてくれる人がいた。一人でなくて良かった、とライルが安心したのは一瞬だった。

相手は、最近社交界に出入りし始めた、一見すると温厚そうだが、目的のためなら手段を選ばない裏の顔がある、と一部で黒い噂のささやかれる成金男だったのだ。

胸騒ぎがした。

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