伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
「金輪際、クレアに対してこんなことをしないと約束して欲しいのです。ブラッドフォード家を敵に回す覚悟があるなら別ですが。どうか、そっとしておいてやってくれませんか」

ライルの口調は穏やかで、頼んでいるように聞こえるが、実際は命令以外の何物でもなかった。それが分からないほど、ヴィヴィアンも鈍くはない。

「分かってますわ……。最後に一つ聞いてもよろしいかしら……クレアの何があなたをそんなに突き動かすの……?」

「……あなたの言う、違う土壌で育った花は今、美しく咲いていますよ。クレアは、どの花よりも純真で、気高い。私はそんな彼女を守りたい。そのためなら、何でもしますよ」

ライルはそう言うと笑み浮かべた。その微笑はとても優美で一瞬ヴィヴィアンの胸をときめかせたが、翠緑の瞳の奥に宿る冷たい光を感じ取った瞬間--ヴィヴィアンは背筋が凍るのを感じた。

「では、そろそろクレアの所に戻ります。あなたも来るはずもない友人をここで待っていても仕方がないでしょう。それに、こんな所に一人いては、次こそ本当に、誰かに狙われてしまいますよ」

「……っ」

この男には全てを見透かされている。ヴィヴィアンはいたたまれなくなって、ソファーから立ち上がると、素早く部屋を出た。




エントランスホールへ向かう通路を足早にライルは進んだ。時々、振り返りながら、ヴィヴィアンが後方に続いていることを確認する。自棄になって途中でどこかに失踪されるような面倒事には、極力巻き込まれたくない。

その時、前から一人のドレス姿の少女が走ってくるのが見えた。

ライルに気付き、横を通り過ぎる時に軽く会釈すると、その少女はヴィヴィアンの元に駆け付けた。

「もう、ヴィヴィアン、どこに行ってたの?入り口近くで待ってて、って言われたのに、ちっとも来ないから、家族も心配してたのよ」

「……ご、ごめんなさい、ちょっと迷ってて……」

ライルに聞こえているかもしれないと思ったのか、ばつが悪そうにヴィヴィアンは小声で答えた。

やはりな、とライルは思った。だが、振り返ってヴィヴィアンを咎めたりはしなかった。


ライルにはもはや、どうでも良いことだった。



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