伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
その声に反応したトシャック氏は、慌ててその手を離す。

自由になったクレアは、踵を返して急いで屋敷へ向かって駆け出そうとした。

ところが、その直後に誰かとぶつかってしまった。

その拍子で、よろけそうになった肩を、抱き止められ、支えられる。

「大丈夫ですか?」

優しい声が降ってきて、ハッとクレアは顔を上げた。

そこには、品の良い黒の燕尾服を着た一人の若者が立っていた。

満月の柔らかな光に照らし出されたその容姿に、思わず見惚れる。

淡い金色の髪に、エメラルドのような深く澄んだ翠緑の瞳。通った鼻梁と、優雅に微笑む唇。

長身で、スラリとした体型だが、クレアを抱き止める腕からは、男らしい力強さを感じた。

……こんなキレイな男の人がいるなんて……。

クレアが驚きのあまり何も言えないでいると、その青年は安心させるように、

「立てますか?」と、優しく尋ねた。

「は、はいっ」

クレアも我に返り、こくりとうなずく。

青年はクレアの肩から手を離すと、自分の後ろに彼女を隠すようにして、トシャック氏に向き直った。

その瞳からは先ほどの優しさは消え、瞬時に氷のような冷たい視線に変わる。

「なんだ、お前は……」

自分よりかなり年下の相手に見据えられ、トシャック氏は怒りを露にしたが、すぐにその表情は凍りついた。

「……ブラッドフォード伯爵……」

唸るように呟いたトシャック氏の声に、クレアも驚いて、目の前の広い後ろ姿を見つめた。


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