伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
その名前なら、聞いたことがある。

ブラッドフォード伯爵家は、豊かな領地と広大なワイナリーを所有し、昔と変わらぬ繁栄を続けている名門貴族。

そして、若き現当主、ライル・ブラッドフォードは、若干二十三歳にしながら、自ら立ち上げた事業で成功をおさめ、没落貴族が増えていく近年の貴族社会の中で、その名声と地位を不動のものにしている。最近では、海外での事業にも着手し、それも順調に進んでいるという。

まだ妻帯していないことに加えて、類い稀なその容姿は、いつも女性の注目の的で、今夜の舞踏会でも、彼の姿を一目見ようと色めきたつ令嬢達が、じっとしているクレアの前を何度も行き来していた。

そんな人は、自分とは別世界の人間だと思っていたので、まさか目の前に現れるなど、想像もしていなかった。

トシャック氏としても、ライルの登場は予想外だった。

ブラッドフォード伯爵家は、昔からコールドウィン侯爵家と親交が深い。成金をひっさげ、落ちぶれていく貴族を横目に内心高笑いしながら、土足でずかずかとこの世界に踏み込んだ彼にとって、今、最も目を付けられたくない相手だった。

「女性に手荒な真似は感心しませんね」

ライルが静かに言う。

「あ、いや、手荒な真似など……とんでもない。少し話をしようとしただけでして……」

「では、わざわざ、こんな場所でなくても良かったのでは? あなたの世界とは違って、ここでそんな振る舞いは許されませんよ」

「……っ!」

穏やかだが、ライルの言葉には明らかにトゲがあった。



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