伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
夫人に発言の隙を与える前に、ライルは続ける。

「それと、クレアはトシャック氏を叩いてはいませんよ。降りかかった火の粉を払おうとしただけです。私もすぐそばにいましたから、間違いありません」

「……火の粉……?」

「ええ。クレアを探して庭に出た時、トシャック氏が彼女を連れて茂みに入っていくのが見えました。慌てて追いかけましたが……これ以上は、女性の前で話すことではないので、止めておきましょう。とにかく、危ないところでした」

最後の方は、少し怒りが入り交じっているような、重い声色だった。

「彼のような人物は時々いますが、まだ社交界に出入りするようになって日が浅いのに、あの場で大胆な行動に出るのは、非常に珍しい。そうですね、誰かにそそのかされでもしない限り……」

「……ま、まさか、彼がそんな人物だとは知りませんでしたわ……」

驚いたふりをしているが、夫人は動揺を隠しきれていない。

ライルはそんな夫人を冷ややかに一瞥すると、

「では、話を戻すとしましょう」

と、先ほどと変わらぬ微笑みを浮かべた。

「トシャック氏との縁談を白紙に戻して頂きたいのです」

「……で、ですが、やはりクレアとあなた様では、不釣り合いすぎて、申し訳ありませんわ……」

すぐには首を縦に振らない夫人に、ライルは更に畳み掛けるように言った。

「持参金は不要です。彼女の身一つで我が伯爵家に来て頂ければ。それと、トシャック氏との間で取り決めがなされた、倍の額の生活資金をご用意させて頂きましょう」

「えっ」

夫人が小さく叫んだ。彼の発言には、今度こそクレアもポカンとして口を開けた。詳しい金額も聞かずに即決するとは、有り余るほどの富を築いているのか。

だが、別の人が言えば鼻に付くような言葉も、ライルの口から聞くと、すんなりと耳に入ってしまうから不思議だ。

……ん? ちょっと待って。

その時、クレアはハッとした。窮地に立たされた自分のために、今だけ婚約者のふりをしてくれているのは分かるけど、そのために、ライルが多額の資金を出すという、あり得ない、非常におかしな話の流れになっている……!


< 39 / 248 >

この作品をシェア

pagetop