【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
(このままアオイを連れ去ったところで、アイツが死に物狂いで奪い返しに来るのはわかってる。……それにこいつもまだまだキュリオがいいはずだ……)

 気高く光の化身かのような悠久の王は、非の打ち所がないすべての模範となる完璧な人物であることは誰の目に明らかである。
 しかし、ティーダはアオイと出会ってからというもの、今までにない感情を持て余すようになってしまった。他者を羨むことなど一度たりともなかった彼が永遠に相容れない悠久の王に対し、激しい劣等感のようなものに苛まれているのだ。
 それに人間とヴァンパイアでは生きる世界が違う。食事などは悠久の地から奪ってしまえば何とでもなるかもしれないが、日の光の下で生きる人間が闇の世界に長く身を置けばどうなるだろう?

「……」

 アオイを奪ったところで、この幼子に最適な環境など用意できるはずもないことは彼自身よくわかっている。だからと言ってティーダが頼れる相手は辛うじて冥王くらいのものだろう。

(あんなところに居たらアオイが死んじまう…)

 二つの人格を持つ冥王が彼女を獲物として見てしまったら、ティーダとてあの王を止められるほどの実力が伴っていないのだ。

(たかが第三位の王……その程度のマダラにさえ俺はまだまだだ……)
 
 記憶に新しいのはマダラに受けた傷の違和感だ。キュリオの力がなければ命さえ危うい状態にあったかもしれないと自身の無力さにため息がでる。やや俯き加減の彼の睫毛が美しい影を作り、その様子を下から見上げていたアオイは……

「だいじょぶ、だいじょぶ」

『……ん?』

 ガラスにさらに身を寄せたアオイは、優しい面持ちでまじないのように唱えた。

 "大丈夫"が、アオイの勇気づけの言葉のようだと知った彼は眦(まなじり)を下げて顔を近づける。

『……そうか。お前がそう言ってくれるなら俺は大丈夫だ』

 目と鼻の先の距離にいるにも関わらず、髪の毛一本にも触れること叶わぬふたりは互いの瞳にその姿を焼き付けるように見つめ合った。
 時が止まったかのような……ほんの数秒の優しい時間はティーダの天敵の出現によって突如終わりを告げた。

『チッ! 戻ってきたがった』

 青年がその不快極まりない気配に気づいてからあっという間に距離を縮めてくるそれは紛れもなくこの城の主、悠久の王のものである。
 不機嫌そうに舌打ちした彼は名残惜しそうに立ち上がると、再びアオイと視線を絡ませ束の間の逢瀬に別れを告げる。

『またなアオイ。次に逢いに来るまで俺のこと忘れるなよ?』

「あいっ」

 立ち上がった彼に合わせ、両手を床につきながら立ち上がるアオイの仕草がとても愛おしく抱きしめたくなる。ティーダはその覚束ない動作に手を貸したくなるのを懸命に胸へ留め、見届けてから片手をあげて身を翻した。

――タッ

 バルコニーの床を蹴った彼の姿は瞬く間に闇へと溶け込んで見えなくなってしまった。
 寂しそうなアオイは彼の姿を探すようにいつまでもガラスに手をついたままその場を離れない。

 すると、程なくして寝室の扉がゆっくり開かれ――
 気遣うように静かに入ってきた人物が驚いたようにアオイの背後へと歩み寄った。

「起きていたのかい?」

「……おとうちゃま!」

 春の花が綻ぶように嬉しそうな笑顔を見せたアオイ。だが、そんな彼女の笑みにもキュリオの表情は優れない。
 振り向くなり嬉しそうに両手を伸ばしたアオイをキュリオは片膝をついて優しく抱きとめた。まさか侍女らがアオイをこのようなところへ放置するわけがなく、キュリオは俄かに眉をひそめながらアオイを抱きあげてベッドへ目を向ける。

 そこには微かに乱れた寝台があり、想像するにアオイは自分の意思でこのバルコニーへと続くガラス戸までやってきたに違いなかった。

(そこに何かいるのか?)

 立ち上がり、アオイを腕に抱いたままガラス戸から外へ目を向けるキュリオ。しかしそこには鳥の姿どころか影のひとつすら見当たらない。キュリオの美しい瞳はそこからさらに下がり、アオイ視点で何が見えるのか再び片膝をついてガラス戸へと目を向けた。

「……」

 そこには変わらず静かな闇と月の光に照らされたバルコニーがあったが、曇りひとつなく磨かれたガラス戸にはアオイのものと思われるいくつもの指紋が見てとれる。

(アオイの目的は……やはりガラス戸の外にあったというわけか)

 キュリオはまるでアオイの触れた部分から記憶を読み取るかのように指先で触れ、思考を巡らせていると――

「……おとうちゃま?」

 キュリオの視線がいつまでも自分に戻ってこないことを不思議に思ったらしいアオイの声が胸元からする。

「ああ、ただいまアオイ」

 ようやく戻された視線に嬉しそうな声で首元に腕を回してくる愛娘をキュリオは両手でしっかりと抱きしめる。

(……馬車が到着するまでまだ時間はある。アオイとこうしていたいのは山々だが、先に湯浴みが必要だな)

 恐らく湯浴みからそれほど時間は経過していないであろうアオイを再び湯に浸からせるのもどうかと考えたキュリオは部屋の前で待機している侍女を呼び、アオイを見守るよう指示を出して湯殿へと向かった。

 アオイの頬を優しく滑る手と微笑みが離れると、キュリオの背を見つめていたアオイの胸を言い表しようのない感情が掠めていく。

(……おとうちゃま、いつもとちがうにおい……)

 キュリオとアオイの一連の光景を闇に紛れてみていたティーダは苛立ったように歯をギリリと噛み締める。

(いつかこんな結界ぶち壊してやるッッ!!)

 嫉妬と怒りで我を忘れそうになった彼だったが、今のままでは到底キュリオの足元にも及ばない。きつく結ばれた唇は変わることはなかったが、その深紅の瞳はもう一度だけ幼子を見つめると大人しく離れて行くのだった――。

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