【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
湯浴みを終えたキュリオの身を包んでいたのは、いつものように柔らかなバスローブではなかった。まるで今から客人に会うかのような……執務をこなすような装いの衣だった。
「アオイ、眠くはないかい?」
「……」
言葉なく首を横に振ったアオイを見たキュリオは、ソファの上で足を投げ出すように大人しく座っていた幼子の体を軽々と抱きあげる。
「そうか、では少し……私の用事に付き合ってくれるだろうか?」
「あいっ」
キュリオの頼みをアオイが断ったことなどあるわけがない。それほど絶大な信頼関係で結ばれているこのふたりの絆は今夜も固く結ばれたままだが、キュリオの心はいつになく揺れているのだった。
キュリオとアオイは女官や侍女を従えて広間へとやってきた。食事を済ませていない主へと軽食が用意され、傍らに置かれた銀の器には色鮮やかなフルーツがアオイの口に合わせて小さくカットされて並んでいる。
予めガーラントより説明を受けていたアレスが事細かに従者らへ伝達していたお陰で物事はスムーズに運んでいく。間もなく客人が到着することを知らされていた女官らは、キュリオは食事に集中してもらおうとアオイの世話を買って出た。……が、それを静かに制止したキュリオは自らの手でアオイにフルーツを与える。
「朝はアオイが目覚めるまで眠らせておいてくれ」
視線はアオイから逸らさぬまま女官らに言い伝えるキュリオの指が、アオイの口の端を濡らす果実の露を拭って自分の口へ運ぶ。
「かしこまりました。御傍で見守らせて頂きますわ」
王の寝室にてアオイがベッドから降り、ガラス戸の傍に居たことをキュリオから聞いていた彼女たちは一瞬驚いた表情の後、心配そうに幼子に怪我はないか念入りに小さな体を確かめていた。
「失礼致しますキュリオ様。ダルド様とアレスが参りました」
「通せ」
キュリオの計らいで同じテーブルにつくことを許されたアレスは、緊張した面持ちでアオイの向かい側の椅子へと腰をおろし、キュリオと食事を共にすることを許されているダルドは慣れているのかいつもと変わらぬ読み取りにくい表情のまま手に古びた分厚い書物を持ってキュリオの向かい側へ座る。ふたりの前に湯気のたつあたたかな紅茶が運ばれて侍女が下がると、幼子用の小高い椅子から飛び降りたアオイがアレスとダルドの間へ駆け寄ろうとするのを大きな手が阻む。
「アオイ、まだ食事中だ」
腹部に回された手は容易くアオイを抱き上げ、その体はキュリオの膝の上に移動してしまった。今度こそ自由に動き回る権利をはく奪されてしまったアオイは、アレスとダルドに助けを求める眼差しを向けるも"またあとで"と笑顔で返されてしまう。
「アオイの身に起きたおおよその話は理解したつもりだが……今一度ダルドの口から聞きたい」
「?」
自分の名が出たことでアオイの視線がキュリオへと向かう。その視線を受けながらキュリオとダルドの会話は進んでいく。
事の経緯やおおよその時間などの説明から始まり、ダルドはアレスにも伝えていなかったあのことをキュリオに伝えることにした。
「……アオイ姫は別の誰かを見ていたんだと思う」
「……」
そう言いながらダルドが視線を下げると、テーブルからギリギリ顔を覗かせたアオイと視線が絡む。
「何故そう思う」
フォークの手を止めたキュリオ自身、信じたくはない気持ちでダルドの話を聞いているのだろう。否定的な言葉にならぬよう気をつけながらも、わずかに言葉の端に尖りがみえる。
「アオイ姫の目に知らない人間が映っていたんだ」
「……」
(最近まで赤子同然だったアオイが出会った人物のほとんどをダルドは把握している。ダルドが知らぬ人物というのなら、それはもはや――)
ダルドの口から零れた不穏な言葉はキュリオが思いもしなかった事態へと向かい始めていた。
これまでアオイについていくつか仮説を立てたことがあるのはキュリオもガーラントも一緒だった。しかし、どの仮説も結果に行き着くには手掛かりがなさ過ぎたため霧の中を彷徨って抜け出せずにいる。それならば、無理に立ち入らず己が光となりアオイを導けばよいのだとキュリオは常々そう思っていた。
(……アオイの出生がわかるかと思ったが、彼女の中で時折目覚めるそれらは……いまのアオイではない別の人生を生きていたときのものかもしれない)
前世の記憶をもって生まれた子供の話を稀に聞くことがある。
そう考えれば前例もあり、皆無というわけではないため必要以上に恐れる必要はない。だが、アオイの場合いくつもの稀有な出来事が重なり過ぎているためキュリオの不安は払拭できずにいる。
アオイの身に起こる不思議な力のわけも、これらを紐解いていけばいずれ答えが見つかるのではないかと誰もが予感し始めていた。
(アオイが前の人生を忘れられずにいるとすれば、相当な未練があるか……もしくは、生前の彼女を想う人物の強い念が解放してくれないかだろう)
「いずれにせよ、今生のアオイに関係のない縁は断つのが最善の選択だ」
「そうだね……」
キュリオがそのような決断に至るまでをダルドは思案を巡らせる。
まさかアオイの身に起きたこれらの出来事が今生以外につながっているとは思ってもみなかったダルドは、キュリオの膝に座って静かに皆の話へ耳を傾けているアオイにまだ見ぬもうひとりの人物を重ねてみる。
(だけど、僕が見た刀の話が本当だったらそれも辻褄があう)
古びた書物を抱えていたダルドは覚悟を決めたようにキュリオへとそれを差し出した。
「アオイ、眠くはないかい?」
「……」
言葉なく首を横に振ったアオイを見たキュリオは、ソファの上で足を投げ出すように大人しく座っていた幼子の体を軽々と抱きあげる。
「そうか、では少し……私の用事に付き合ってくれるだろうか?」
「あいっ」
キュリオの頼みをアオイが断ったことなどあるわけがない。それほど絶大な信頼関係で結ばれているこのふたりの絆は今夜も固く結ばれたままだが、キュリオの心はいつになく揺れているのだった。
キュリオとアオイは女官や侍女を従えて広間へとやってきた。食事を済ませていない主へと軽食が用意され、傍らに置かれた銀の器には色鮮やかなフルーツがアオイの口に合わせて小さくカットされて並んでいる。
予めガーラントより説明を受けていたアレスが事細かに従者らへ伝達していたお陰で物事はスムーズに運んでいく。間もなく客人が到着することを知らされていた女官らは、キュリオは食事に集中してもらおうとアオイの世話を買って出た。……が、それを静かに制止したキュリオは自らの手でアオイにフルーツを与える。
「朝はアオイが目覚めるまで眠らせておいてくれ」
視線はアオイから逸らさぬまま女官らに言い伝えるキュリオの指が、アオイの口の端を濡らす果実の露を拭って自分の口へ運ぶ。
「かしこまりました。御傍で見守らせて頂きますわ」
王の寝室にてアオイがベッドから降り、ガラス戸の傍に居たことをキュリオから聞いていた彼女たちは一瞬驚いた表情の後、心配そうに幼子に怪我はないか念入りに小さな体を確かめていた。
「失礼致しますキュリオ様。ダルド様とアレスが参りました」
「通せ」
キュリオの計らいで同じテーブルにつくことを許されたアレスは、緊張した面持ちでアオイの向かい側の椅子へと腰をおろし、キュリオと食事を共にすることを許されているダルドは慣れているのかいつもと変わらぬ読み取りにくい表情のまま手に古びた分厚い書物を持ってキュリオの向かい側へ座る。ふたりの前に湯気のたつあたたかな紅茶が運ばれて侍女が下がると、幼子用の小高い椅子から飛び降りたアオイがアレスとダルドの間へ駆け寄ろうとするのを大きな手が阻む。
「アオイ、まだ食事中だ」
腹部に回された手は容易くアオイを抱き上げ、その体はキュリオの膝の上に移動してしまった。今度こそ自由に動き回る権利をはく奪されてしまったアオイは、アレスとダルドに助けを求める眼差しを向けるも"またあとで"と笑顔で返されてしまう。
「アオイの身に起きたおおよその話は理解したつもりだが……今一度ダルドの口から聞きたい」
「?」
自分の名が出たことでアオイの視線がキュリオへと向かう。その視線を受けながらキュリオとダルドの会話は進んでいく。
事の経緯やおおよその時間などの説明から始まり、ダルドはアレスにも伝えていなかったあのことをキュリオに伝えることにした。
「……アオイ姫は別の誰かを見ていたんだと思う」
「……」
そう言いながらダルドが視線を下げると、テーブルからギリギリ顔を覗かせたアオイと視線が絡む。
「何故そう思う」
フォークの手を止めたキュリオ自身、信じたくはない気持ちでダルドの話を聞いているのだろう。否定的な言葉にならぬよう気をつけながらも、わずかに言葉の端に尖りがみえる。
「アオイ姫の目に知らない人間が映っていたんだ」
「……」
(最近まで赤子同然だったアオイが出会った人物のほとんどをダルドは把握している。ダルドが知らぬ人物というのなら、それはもはや――)
ダルドの口から零れた不穏な言葉はキュリオが思いもしなかった事態へと向かい始めていた。
これまでアオイについていくつか仮説を立てたことがあるのはキュリオもガーラントも一緒だった。しかし、どの仮説も結果に行き着くには手掛かりがなさ過ぎたため霧の中を彷徨って抜け出せずにいる。それならば、無理に立ち入らず己が光となりアオイを導けばよいのだとキュリオは常々そう思っていた。
(……アオイの出生がわかるかと思ったが、彼女の中で時折目覚めるそれらは……いまのアオイではない別の人生を生きていたときのものかもしれない)
前世の記憶をもって生まれた子供の話を稀に聞くことがある。
そう考えれば前例もあり、皆無というわけではないため必要以上に恐れる必要はない。だが、アオイの場合いくつもの稀有な出来事が重なり過ぎているためキュリオの不安は払拭できずにいる。
アオイの身に起こる不思議な力のわけも、これらを紐解いていけばいずれ答えが見つかるのではないかと誰もが予感し始めていた。
(アオイが前の人生を忘れられずにいるとすれば、相当な未練があるか……もしくは、生前の彼女を想う人物の強い念が解放してくれないかだろう)
「いずれにせよ、今生のアオイに関係のない縁は断つのが最善の選択だ」
「そうだね……」
キュリオがそのような決断に至るまでをダルドは思案を巡らせる。
まさかアオイの身に起きたこれらの出来事が今生以外につながっているとは思ってもみなかったダルドは、キュリオの膝に座って静かに皆の話へ耳を傾けているアオイにまだ見ぬもうひとりの人物を重ねてみる。
(だけど、僕が見た刀の話が本当だったらそれも辻褄があう)
古びた書物を抱えていたダルドは覚悟を決めたようにキュリオへとそれを差し出した。