アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)


随分勝手な言い草だが、それは誰だって抱える本音の一部だろう。

私は子どもがいないので想像することしかできないが、確かに仕事で疲れて帰ってきて玄関で真っ先にブロックを踏めば苛立ちもするし、母親が子を怒鳴る声など誰だって聞きたくない。
そこで嫌だと思う気持ちをぐっとこらえて、もう一人の親……つまり父親として家族として現状の改善に努めるのか、俺は知らないとばかりに夜の街に飛び出すのかで結果は随分と変わってくる。蒔田君は後者だった。そして逃げた結果が今の状態なのだ。


しかし今さらそれを指摘しても意味のないことだ。
蒔田くんだって愚痴を言いつつもきっとわかっているのだろう。家族はもう蒔田くんのそばにはいない。


私は曖昧な相槌を打ちながらコーヒーの二杯目を出した。

こういうときは誰かが自分の話を聞いているという事実がお客の求めるものなのであって、何が正しいかを議論するのはここですべきことではない。アドバイスは要らないのだ。

これは私が父の姿を見ながら学んだことだ。話に心を添わせてお客さんと一緒になって怒ったりお客さんの考え違いに自分の意見をぶつけることはやはり喫茶店の店員の領分ではない。それは友人や家族、恋人などがすることだ。
もちろん私も人間なので話題の内容によっては意見をしたくなることもあったが、この仕事を長く続けているとそういう衝動もだんだんと薄れてくる。私が何か言おうと言うまいと、大抵の場合お客の心の中で答えはすでに出ている。彼らは本気で私にアドバイスを求めているのではない。ただ吐き出したいだけなのだ。


蒔田君はカウンターに肘をついて呟いた。

「でも、うん。まあ……離婚に後悔はないな……。一人は寂しいけれど、そのうち慣れるだろうって思える。でもあの怒鳴り声にもブロックにも、慣れられそうにないんだよなぁ」

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