アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

いつまでも何も言わないミハイル。その無言はくつろいでいるときの無言とは違い、どこかぴりぴりした空気をかもし出す無言だった。
私は小さくため息をついて、シートにおかれた彼の手にそっと自分の指先を重ねた。



「あなたは、僕の灯火(ともしび)だ。
あなたがいないと何も見えない。どこにもいけない。あなたの代わりには誰もなれない。
だから、あなたにはカガンに来て欲しいと思ったんだ」

突然、ミハイルがぽつりと呟いた。
顔を上げて隣に座る彼を見ると、彼は前方を見たまま、静かに座席に乗せた私の手に手のひらを重ねた。

「ごめん。……僕、あなたの人生を変えてしまったのに、それでも嬉しいんだ。
あなたにとっては遠いカガンに行くことは不安でしかないだろうに、それでもあなたが僕と生きる道を選んでくれたことを喜んでいる」

私は彼の顔を見上げた。
紫にきらめく瞳が悲しげに曇っていた。テレビで見たときは凛として立派だった美しい瞳が……。

「あなたにとって、僕は悪魔みたいな男だね」

「……わ、私も、ミハイルに出会った事、ミハイルが私を好きになってくれたこと……奇跡のように思ってる……。だから、そんな顔しないで」

彼は悲しげに目を伏せた。長いまつげが頬のあたりまで影を作り、美しい瞳をかくしてしまう。
私は黙って彼の次の言葉を待った。



「ごめん……。
いつかあなたが、僕を選んでよかったと……カガンに来てよかった、自分の判断は間違っていなかったと自信を持って言えるようにする。
約束する。
今、僕はこの命しか持っていないから、僕の命を懸けて約束するよ。
だから今は僕を信じて。お願いだ」


気位の高い彼がそう言って私に懇願した。自分を曲げて、私のような平凡な女にそう頼んでいる。彼にそんなことを言わせてしまった自分が情けなかった。

私は頷いた。

「ありがとう、ミハイル」

ミハイルはちらりと横目で私を見ると、私の手を口元に引き寄せ、そっと手の甲に唇を押し付けた。
柔らかくしっとりとしたその唇は少し冷たくて、しみるように優しかった。




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