アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

彼は一瞬にして自分の知らないところで何が仕組まれていたのかを悟ったのだろう。その美貌に苦痛の表情を浮かべた。

プライドの高い、そして繊細な彼の心に見る間にひびがはいって、冷たい音を立てて毀(こわ)れていく音が聞こえるようだった。


私は、いままでの人生でこれほど人を傷つけたことはなかった。
無防備でとても柔らかく、それだけに美しい人間の根の部分を、私はとてもひどいやり方で抉(えぐ)ってしまった。
けれど、後戻りはできなかった。


ミハイルは席から立ち上がって何かを叫んだ。窓を拳で殴った。何度も、窓に拳を打ちつけ、力の限り叫んだ。
強い苦痛と憎しみのために、彼の美貌が見たこともないほど歪んでいた。

僕を騙(だま)したな、
僕を裏切ったな、
戻ってこい、
こんなことは許さない、
絶対に許さない。


航空機の吐き出す轟音と強い風で隣にいる井出さんの声すらちゃんと聞き取れないのに、ミハイルの罵声はしっかりと心に直接響いてくるようだった。

私はそれ以上ミハイルと向き合っているべきではなかったのかもしれない。
けれど、私はもう二度と彼に会うことのできない自分の未練を断ち切ることができず、ずっとミハイルを見上げていた。彼の姿を一秒でも長く見つめていたかった。

悲しいことに、私の目にはすぐに大きな涙の粒が盛り上がってきて私の視界を歪ませた。

できる限り大きく目を見開いて、少しでもミハイルの姿を見ていたい。例え罵声を浴びせられても私は自分の傷つけた人の言葉を聞くべきだった。その非難をしっかりと心に刻むべきだった。
それなのに、あとからあとから涙が溢(あふ)れて少しも彼の姿が見えなかった。

これが最後だというのに。
もう二度と彼に会えないのだというのに、前が見えない。ミハイルが見えない。
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