デジタルな君にアナログな刻を
わたしなんて彼氏がいたのは高校の時が最初で最後。彼がいまどこで何をしているのかも知らない。パワハラだって、だらけた店長に文句を言ってばかりいるわたしの方が解雇されるんじゃないか、というくらいだ。

セクハラは……。あの、無駄に響く低音の声を出すなとは言えないし、ぎこちなく時計を触る指先になぜかドキドキさせられると訴えたら、変態扱いされそう。不意にさっき目にしたばかりの手袋をした彼の手が思い出され、カレーとの相乗効果で汗が出る。

「ねえ、円ちゃんとこの店長さんは彼女いるのかな」

「はいっ!?」

目の前の残像を瞬きで消し去り、すっかり冷めてしまった残りのチャイを飲み干した。なぜあの人が突然出てくるの?

「背も高いし、顔も良いじゃない。ちょっと性格にクセがありそうだけど」

ありすぎるしでしょうが! 心の中だけで叫ぶ。

「いる、という話は特に聞いたことがないですね。でも、もう30過ぎてますよ?」

「……もしかして、私にケンカ売ってる?」

しまった。わたしとは10歳違っても、アラサーの奈々美さんとならそれほど年の差はない。むしろお似合いなくらいかも。
まさかぁ~と引きつり笑いで手を振ったわたしの手首に、奈々美さんの目が釘付けになる。

「え、もうそんな時間??」

言われて文字盤を見れば、13時37分。この店からゆっくり歩いても10分はかからないから、それほど急ぐ時間じゃないと思うけれど、彼女は慌てたように席を立つ。

「お昼休みに電話しなくちゃいけないところがあったの。なのに、携帯持ってこなかった!」

「貸しましょうか?」

「ありがとう。でも番号がわからないから」

椅子の背もたれにかけていたコートに袖を通しながらレジへ向かう。先に奈々美さんが、続いてわたしが会計を済ませた。

「554円です」

待っている間に550円を用意していたわたしは、慌ててお財布から1円玉を4枚取り出す。差額分は消費税が別なんだ……。

「悪いけど先に戻るね。またランチしよう!」

黒いパンプスの踵を鳴らしながら、奈々美さんは駆けていった。わたしもそうはのんびりできない。帰って歯磨きとお化粧直しをしなくては。とはいえリップを塗り直すくらいだから、5分もあれば余裕だろう。

ちょっとだけ体温が上がった身体で来た道を戻る。腹ごなしにもならない距離を歩いて、『タイムズガーデンビル』――実は、ビルといっても5階より上は賃貸や分譲の住居になっているらしい――に到着した。
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