デジタルな君にアナログな刻を
そうやって視覚と聴覚を閉ざしていたわたしの嗅覚が、にわかに刺激を受ける。ゆっくりと手を外し瞼を開くと、白い湯気と香りをあげるコーヒーカップが、目の前に置かれていた。

「砂糖とミルクは?ごめんね、お茶請けがもらい物の煎餅しかなかった。緑茶にすれば良かったかなあ」

急に視覚も聴覚も賑やかになる。もう秒針の音は聞こえなかった。
ミルクとお砂糖をたっぷり入れた私に対し、向かいのソファに座った彼はミルクだけを入れて、大きな手で小さなティースプーンを持ちかき混ぜている。そんな仕草がちぐはぐで、カップの縁にあてた口元がつい緩んでしまった。
そこへ甘くて仄かに苦みを残した熱いコーヒーが流れ込む。ほっと息をつける。そんな優しい美味しさだった。

流れに任せ、ふたりでバリバリとお煎餅をかじりながら、世間話に盛り上がる。話題は主に、駅前の今昔という縁側トーク。

「じゃあ、あそこはお祖父さんのお店だったんですか?」

わたしの記憶にある時計屋さんの正体が判明した。

「祖父さんが亡くなった時に一度閉店してね。そのうちに駅前開発で一旦場所を退くことになって。だけど時計メーカーを定年退職した親父がまた店を始めたいって言い出したから、ここの内装とかもはりきって全部決めてたのに……」

はあ、とため息と肩を落とした。なんとなく嫌な予感。

「開店間近って時に目を悪くしちゃって。今はもう、利き目の右はほとんど見えてない。年齢のこともあるし、仕事は諦めて引退したんだ。今は母親と海の近くに住んで、悠々自適に暮らしているよ」

とりあえずはお元気そうで安堵する。新しいお店は残念だっただろうけれど、きっと定年まで家族のために一生懸命働いてきたのだから、奥さんとゆっくりするのも、素敵なリタイア後の過ごし方だと思う。

そう。家族のために頑張った父親なら、責任を果たしたその後は好きなようにすればいい。だけど……。
バリン、と個包装の袋の中で海苔煎餅を真っ二つに割った。

「お父さんも息子さんが跡を継いでくれて、喜んだんじゃないですか?」

絵に描いたように理想的な親子関係。お煎餅を更に細かく割るけれど、海苔がうまく切れなくてイライラした。

「うん?……まあ、ね」

彼は歯切れの悪い返事をしたかと思うと、胡麻煎餅をバリバリとかじり口を濁す。
ぽろぽろとテーブルの上に落ちたカスを適当に手でまとめると、空になったコーヒーカップの中に落とした。
ずいぶんと大雑把な人だなあ。

「それより、時計はどうだった?」

端に寄せていた時計を引き寄せてデモスイッチを入れる。またおやゆび姫が、ひとりで踊り始めた。
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