肉食系御曹司の餌食になりました

「やめてないですよ。前も言ったと思うんですけど、上司がいつも私のステージを観にくるんで。素顔のままで帰れなくなって」

「ああ、例の人ね。なんかマスターにすっかり気に入られて、夏の誕生日会にも来てたよな」

「そうなんです。だから困っていて。バレたくないのに……」


大きな紙袋に地味色オフィススーツと地味なコートを入れて、その上にステージ衣装を乗せる。

支社長のせいで荷物が多くなることに溜息をついていると、ジョーさんがからかうように笑った。


「もうバレてんじゃない? アンちゃん、自分で言うほど、地味っ子のときと違わないよ」


一瞬ギクリとしたが、それはないと思う。いや、思いたい。

親友の智恵にだって『亜弓に見えない』と言われるこの姿。

ジョーさんはAnneと亜弓の両方を、何年も見ているからそう思うのだろう。

ここに来るときには亜弓の姿のままだけど、常連客だって反応しないのに、初来店が五ヶ月ほど前の支社長に見破られてたまるかという気持ちだ。

だから、安心してもいいはず。

もし気づいているなら、なにか言ってこないとおかしいし……。


焦りを理屈の力で封じ込め、ジョーさんに冗談めかして言う。


「私の変装は完璧です。もしバレてたら、ジャズシンガーを辞めるか会社を自主退職するか選べと言われるはずだし、大丈夫」


それから「お先に」と大きな荷物を手に楽屋を出た。

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