イジワル御曹司に愛されています
腰を上げかけたところを、人差し指一本で止められた。

中腰のまま、「気をつけてね」と声をかけると、出ていこうとしていた彼が振り返り、ぞんざいに言う。


「お前に心配されたくない」


ですよね…と打ちひしがれている間に再びひとりになっていた。

作業を再開しよう。こればかりに時間をとられているわけにもいかない、いつもの仕事もあるのだ。

集中集中、と自分に活を入れたとき、資料の表紙の隅っこに、なにか書いてあるのに気がついた。


【もう少しだから、がんばって】


急いで殴り書きしたような、ボールペンの筆跡。

いつこんなものを。


"がんばって"


わからないよ? もしかしたら激励じゃなくて、からかっているのかも、これ。ほら、あのころみたいに。

…なんてね、私、そこまで頑なでもない。これは純粋に、励ましてくれているのだ。そのくらいわかる。

都筑くんて、どうやらそういう人。

怖いと感じることも多い。でもそれは、昔みたいに理不尽な思いを伴うものではなく、いつも彼の方が正しく、そしてなぜだかどこか、温かい。

ねえ、どうしてそんなに、別人みたいなの。


* * *


都筑くんが選んでくれたのは、堅苦しすぎず、ほどよく上質な和食を出してくれるお店だった。

にぎわっている店内の一番奥に、くつろげるゆったりした個室がある。


「いや久しぶり、前に会ったのいつだっけ、北海道の学会かな」

「10年前…いや、11年前?」

「もうそんなになっちゃうかあ」


業界で著名なふたりの先生は、会うなり懐かしそうに相好を崩し、食べ物もそっちのけで学究談義。

私たちは、これならこれで、とお酒をつぐ以外では邪魔をしないことにした。
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